マクベスの歌   Macbeth song  

 いやはや、朝の六時半過ぎのテレビ番組で、子供たちが歌っている歌が「マクベスの歌」で、出だしがーシェークスピア、シェークスピアなのです。「綺麗は汚い、きたないはきれい」Fair  is foul, foul is fair..マクベスの一番初めに、三人の魔女が語る言葉なのですが、公正さなんて不公正なものだ、不公正だって、公正だというアイロニーなのか、人間の人生は幸と不幸、良いことと悪いことが常に変転していく予測が出来ない定まりのないものであるということのたとえなのかわかりませんが、マクベスは結局魔女の予言に惑わされて王を暗殺することによって自分がスコットランド王の座にまで登りつめるという栄華と幸運に恵まれたのち、自らが成してきた悪しき行為に対する報復や味方の裏切りにあって敗北して追い詰められていくという凋落と滅亡の道を歩んでいくのです。

 「悪いことをすると自分に返って来る。そして眠れなくなる」こんなテロップも出て、私は思わず笑ってしまったのですが、何の予言に惑わされたのか夫を陥れようと悪しき行為を繰り返してきた夫の従兄もコロナ以後は動けないで現れず、悪口を言いたい放題だった義母も認知症、つるんでいた義弟も脳梗塞という姿を見ていて、子供の時に悪いことをすると自分に返って来ると親に教わらなかったのかと不思議になります。穏やかで静かな週末を送れる喜びは夫と結婚して初めて味わうものですが、有難いと思っています。 

 昨晩深夜番組をみていたら、バイオリニストのイザークパールマンの特集をやっていて、お年を召して今は電動車いすで移動している姿を見て少し驚きました。四歳の時小児麻痺になり足が不自由になったのですが、アウシュビッツに送られそうになったポーランド出身のユダヤ人の両親は彼にバイオリン教育を受けさせ、猛烈な練習ののち才能を開花させた彼は、障害があるハンディを克服して素晴らしいバイオリニストになるのです。ユダヤ人バイオリニストが多いのは、ナチスから逃げるとき楽器が小さくないと困るからだそうですが、本当に数々の試練をへて奏でる彼のバイオリンは一音一音温かく心に染み入るようで、使っているストラディバリウスも稀にみる素晴らしい楽器なので思うが儘の音が出せると言います。若い頃良く聞いていたパールマンを久しぶりに聞いて思ったのは、年齢とか障害とかマイナスに働く要素がすべてプラスに彼の演奏の中に入っていること、小柄な奥様の熱烈な生涯にわたるサポートと愛情がどんなに大きかったことかということです。

 マクベスの「綺麗はきたない、汚いはきれい」の意味は色々取れるのだけれども、障害とか人種とか容貌とか、外見の違いは、晩年になって体力も記憶力も能力も衰えてきた時に突然裏返ってfoul is fair になるのかもしれず、バイオリンの音色がそのままパールマンの人間的な慈愛に結び付いている凄さに暫し圧倒されていました。困難に遭いたいと好き好んで思うわけはないのですが、車いすでステージに登場して弾き始めた音楽の沁みとおり方は、人生を誠実に努力してきたからこその証でしょうし、朝顔のタネを取って来年に備えますというラインもらったり、野菜のタネや苗を植えている方からの栽培のアドバイス受けたりしていると、やはり同じ生きていることの誠実さを感じています。

できることを一生懸命やっていると、発酵するものがあるのでしょう。

 コロナ後の世界は政治が替わろうがワクチンが開発されようがもとには戻らないということを、私たちは理解しなければいけないのです。コロナは世界を根本的に変えようという明らかな意志を持って存在しているのに、ステイホームや自粛生活の中で私たちはどんな言葉を発していたか。黙っていてはいけない時が来ています。やっと涼しくなってきました。やらなければならないことを一つ一つこなしていきます。