不確実な世界  Uncertain world

 柴又も、日本各地の観光地も少しずつ今までのにぎわいを取り戻し、活気が出てきたと報じられています。マスクして消毒して、密にならないように間隔開けて、と言いながら、なんとなくルーズになってしまっていることに気が付きますが、何の確実性も保証もない世界で、自分だけの被害ならともかく、家族や近隣の人にも迷惑をかけてしまうかもしれないと思うと、まだまだ遠出はできないし、新しい旅のエチケットは「車内でのおしゃべりは控えめに」「マスク着用、手洗い消毒、室内のこまめな換気」「食事中の会話は控えめに」だそうで、そうなると夫の飲み仲間との近間の旅行もまだ無理のようです。

 建築家の安藤忠雄さんが、大阪市に子供図書館”子供ほんの森 中之島”を設計し寄贈したそうで、蔵書の準備や運営資金は個人、企業を問わず、寄せられた大阪市民の原資で、名誉館長の山中伸弥さんをはじめ多くの文化人が幼少期に影響を受けたほんの寄贈など、それぞれが出来る範囲の力を合わせて支援しています。

 コロナ後の世界がどうなっていくかという問題の本質は、今日の世界を動かしている仕組みそのものの破綻にあり、効率至上のグローバル資本主義を可能にしているのは、情報技術の急激な進化で、この技術革新による変化は、19世紀に世界を揺るがした産業革命のそれを超えるものとなるのでしょうが、それがいかなる世界に行きつくのか、だれにも先は見えません。

 この時代に一番必要なのは、「人間の幸福とはなにか」「世界はどうあるべきか」という根源に立ち返り、考え抜かれた確固たるビジョンの実現に向け、自ら先頭に立ち、自ら決断し、自らの言葉で人々を導く勇敢で力強いリーダーシップです。そして次の時代を切り開く人間力を育てる環境づくり、子供たちが様々なものや人と出逢い、自分なりの価値観、生きていく覚悟を養える機会づくりが大事だと安藤さんは言います。私はエアビーの仕事をして世界中のたくさんの人々と着物や日本文化を通じて触れ合って来たことが自分の人生観の根幹になったし、コロナウィルスですべてがストップし、何もできなくなった今の状態も私にとって必要不可欠なものだと思っています。神様は私たちに必要なものしか与えない、そんな言葉を思い出しますが、「人間の幸福」とか「世界観」は、生きていていろんな試練や屈辱、バッシング、嘲りを受けた人間しか持てないような気がしています。人を嘲ったり貶めたりする人間は、幸福も味わったことがないし、世界はどうあるべきかなどと考えたこともない、だから人を罵るのです。

 二年前にゲストで来たアメリカに住む中国系の双子の男の子に、 ”Do you like Shinzo Abe?" と突然質問され、慌てたことがありました。その顛末を前にブログに書いたのですが、基本的に私たち夫婦は安倍さんを支持しています。朝日新聞はじめ、よからぬ週刊誌やマスコミがありったけの罵詈雑言を浴びせかけ、自分の国をより悪くなる方向へ持って行こうとするのを見ていると、こんなにはっきり黒白見分けるのが楽なことはないようで、それでも痛めつけられることで、自分の信念や生き方がより強くなることは、これまでの歴史を見ていてもわかります。叩かれたら反省し、そしてまた前へ進めばいい。芯が決まらずふらふらしていた私が、舅姑でがんじがらめの家に嫁いだ時、母が言った言葉が「何処へ飛んで行ってしまうかわからないあの子にはあのくらい厳しい環境の方がいい」でそれから40年たちましたが、確かにあれだけ舅姑に苦しめられた経験は私には必要でした。不確実な世界を生きていくのに大事なのは、諦念の記憶というか、何でここまでされなければならないかと思うのですが、気に入らない、好きではない、目障りだ、不愉快だ見たいなところで、人は相手に対し残酷になれるし、ナチスドイツにしてもその感覚でユダヤ人を大量に殺していったのかもしれません。

 やられたらやり返すわけではないけれど、認知症になった義母は悪口を言うということも忘れたようで、それでも時々「バチがあたった」とつぶやいています。昨日二回目の墓参りに行って今度こそお線香をあげてきたのですが、帰りに義母の実家のお墓に寄ったら誰も来ていなくて草が生い茂っていました。墓掃除をするのは、今会社仕舞いでもめている89歳のおじ一人で、お彼岸どころではないのでしょう。30分ばかり頑張って草むしりして帰ってきました。

 不確実な世界を生き抜く力は、黙って草むしりできるかという所にあるのかもしれません。