川っぺりムコリッタ

この変わった題名の本の書評をずいぶん前に読んで、(コロナ前?)いつか読もうと思っていたのですが、カタカナに弱い私は図書館で検索するとき「ムリコッタ」と入力してしまい、「その本はありません」との表示を見て読むのをあきらめていました。それからずいぶん経って、ムコリッタが正解と気が付き、貸出欄に入力したらあっという間に借りることが出来ました。

 書評に、主人公の青年が炊き立てのご飯にイカの塩辛をのせて食べるシーンが圧巻だとあったのですが、読んでみてやはりそこが一番インパクトがありました。この本を書いた荻上直子さんは自身で脚本を手掛ける監督で、20代の頃アメリカ留学によって映画を学び、「かもめ食堂」のヒットで名を馳せ、日本映画の新しいジャンルを確立しました。

 今回書き下ろしたこの本の題名「ムコリッタ牟呼栗多」とは仏典に記載の時間の単位の一つで、1/30日=48分で、「刹那」はその最小単位のことです。ずっと一人きりだった青年は、川沿いの古いアパート「ハイツ ムコリッタ」で、へんてこな仲間たちに出会う。友達でも家族でもない、でも、孤独ではない。“ひとり”が当たり前になった時代に、静かに寄り添って生き抜く彼らの物語です。四歳の時両親が離婚し、母親に引き取られ、父親の記憶はほとんどないのですが、高校二年の時母からも捨てられ、それからは建設現場で働いたり万引きなどしていましたが、20代後半にオレオレ詐欺の受け子として捕まり、2年間刑務所で服役し、出所した後北陸のイカの塩辛工場で働くのです。30歳過ぎて初めてアパートを借りて自炊し、ご飯を炊いて味噌汁を作り塩辛で食事をするということが彼にとってどんなに素晴らしい体験だったか。そこで会ったヘンテコでろくでもなくてぎりぎりで暮らしているけれど、でも愛すべき温かい人達は、孤独死した父親の遺骨を引き取ってどうしようか迷う彼を励まし、みんなで弔いをしてあげるのです。

 義母がテレビで子供を虐待する親のニュース見ていて、なんてひどいとつぶやいていましたが、これは国が貧しいとか戦争や災害で食べるものがない時代の話ではなく、今現在起こっていることだし、私の周りでも離婚や育児放棄とかの話が現実にあります。捨てられた子供たちはやがて「なんで生まれてきちゃったんだろうって、ずっと思っていました」とつぶやくようになる、教育の問題でも経済の問題でもなく、心の問題なのか。この所芸能人の自殺が増え、特に前夫の子供や幼い乳飲み子を残して死んだ女優さんの姿は、私たちが今まで追い求めてきた理想の生き方が正解だったかリアルに問いかけてくる気がします。美貌と才能と実績を持って自分の実力で生き抜いてきても、心の闇に簡単に屈してしまう。綺麗な家に住み、真面目な夫と美しい妻が可愛い子供二人を育て幸せに暮らす、テレビのコマーシャルに出てくる理想的な暮らしをしていた若い家族は本当に幸せだったのか、やみが押し寄せてきたら簡単に屈してしまうくらいの土台しかないのはなぜか。私は私たちの年代が自分の子供を育てきれていないし、その子供たちが自分の子供を育てている危なっかしさを非常に感じています。私たちは心底考え、深く感じることがなかった。今の若い世代は、それに引き替え苦労して、そしてこれからはコロナとともに生きることを考えて、努力していかなければなりません。

 ムコリッタの登場人物たちは、孤独で偏屈で忘れたい過去を背負っているけれど、人との関りや時間の尊さを大事にしている、もしそれを怠ったら、ぎりぎりで生きている彼らは崩れてしまうから。初めての給料をもらうまで、お金がなくて空腹で苦しみ抜いた主人公が、ご飯を炊いて味噌汁を作って、大盛りの茶碗のご飯の上に塩辛を載せて食べるシーンに感動してしまうのは、欲にまみれてこの生きる喜びを知らない人間がたくさんいるからです。この本が表しているのは、今の私たちが忘れてしまった根本的な人間賛歌だと思うし、親もなくお金もなく放り出された若者が、自分だけの力で生き抜いていくには何が大事かということを教えてくれるのです。汗水たらして働き、食べ物を美味しく食べ、自分の中の感情をきちんと整理して向き合い、どんなに厳しい状況も我慢する。表に現れる出来事は、それがどんなにマイナスなことであっても、前に進む原動力になりうるのでしょう。一つ一つを大事に生きていこうと思います。

 今日は中秋の名月です。みんなで、月を見ています。