また逢う日まで  Until the day we meet again

 毎週末義母がショートステイへ行くようになって、私たち夫婦の行動範囲は少しずつ広がり、昨日は夫の友人の行きつけのお店に夕方から行ってきました。最近は松戸にあるこのお店に夫もよく連れて行ってもらうようになったのですが、十月一杯で閉店するというので私も初めて一緒に行きました。外見は喫茶店なのですが、実は会員制のお店で、スナックでもなく居酒屋でもなく、食べ物屋でもなく摩訶不思議な雰囲気のお店の女主人はハワイアンからシャンソンまでなんでも歌いこなすエンターテイナーで、お料理も全部手作りしてお客さんとの会話をとことん楽しむ品の良い空間でした。お店に来たお客さんのことを瞬時に理解し、温かいやり取りと、丸ごと自分を差し出しながら時を過ごしていくやり方になぜか親近感を覚え、思わず血液型聞いたらB型だそうで、笑ってしまいました。(私も夫もB型、特殊で変わっていて、似たもの同士なのです)

 カラオケでたくさんの歌をかわるがわる歌った時、ちょうどいらしていた馴染みのお客様と私は歌の好みが同じだったので、何曲か一緒に歌わせていただいたのですが、久しぶりに声を合わせる感覚を思い出しました。アンサンブルの少人数のコーラスをしていた時、いつも端で歌っていた私がよく言われたのは息を流すということで、音に空気感と厚みを加えると、コーラスはより引き立つと先生に指導されました。コーラス辞めて歌わなくなって十年近くたち、もう未練もないのですが、この夜加藤登紀子の「愛の暮らし」という曲を一緒に歌った時、合わせる感覚、寄り添い膨らませる感覚が蘇り、懐かしくなりました。歌とは朗々と張り上げることでもなく、存在をアピールすることでもなく、一緒にそこにあるだけでいい。そういえば、外国人のゲストと一緒にいるときも同じ感覚だったのでした。自分を丸ごと差し出し、相手をそのまま受け入れ、着物を着せ、参道を歩き、仏教の彫刻版の前で語り合う。何かを追体験できた気がするのは、共有した文化や感動があったからなのかもしれません。この夜、この場に加藤登紀子の歌があり、それを歌った自分の記憶があり、一緒に歌った相手の方の想い出や力量をただ受け止める、それがこんなにも心地よかったのかとあらためて気づかされました。カタルシス、魂の浄化。使い方間違えているかもしれませんが、このお店は自分の過去の何かを呼び起こし、気持ちが解放される不思議なお店のような気がしました。私が若い時大好きだった越路吹雪や尾崎紀世彦の歌がリクエストされ、久しぶりに、本当に久しぶりに”また逢う日まで”をみんなで歌って、そこで私たちは帰りましたが、いつまでも店先で送って下さるママさんの視線を感じながら、今までうちに来た700人のゲストの気持ちがわかるような気がしました。異空間にいた感覚。

 七五三の着付けの予約が久しぶりに入りました。外国人着付けが間遠になってしまっても、いろいろな出会いやめぐり逢いは新鮮です。揺れ動く時代の境目を、心して生きていきましょう。