十三夜 the moon on the thirteenth night (of every month, but especially the ninth month of the lunar calendar)

 十三夜とは、旧暦9月13日のお月見のことで、旧暦8月15日の十五夜の後に巡って来る十三夜をさすのだそうです。十三夜は十五夜に次いで美しい名月だと言われているため、中秋の名月(十五夜)から約一か月後に巡って来る十三夜のお月見を後の月と呼んで、昔から大切にしていました。そして十五夜、または十三夜のどちらか一方しか観ないことを「片見月」「方月見」と呼び、縁起が悪いこととされています。そして、片見月を見るには一つ条件があって、二夜とも「同じ場所」で月を愛でなければならないのです。同じ場所で同じ方と・・なんて色っぽい話で、十五夜の夜を共に過ごしたのだから、一月後の十三夜も逢いに来てくれないといけないのと昔の色街の女性は馴染みの客にささやいたのかもしれません。台風の影響で、十五夜の時期は天候が悪いことが多いのですが、十三夜は晴れる日が多く、「十三夜に曇りなし」と言われたりしています。

 十三夜とは新月(月が全て欠けて見えない状態)を1として13日目の夜のことをいって、満月ではないのですがその満ち欠けの流れや風情を味わうものなのかもしれません。樋口一葉の小説にも「十三夜」というのがあって、見染められて身分違いの結婚をした女性が、子供が出来てからの夫の変わりように耐えかねて離縁しようと実家に帰るのですが、両親に諭されて帰るときに乗った人力車の車夫が、昔互いに想いを寄せ合っていた幼馴染で、妻子と別れ転落の人生を送っている彼と積もる話をした後別れて、空を見ると十三夜の月が帰り道を照らしているというものです。

 中学生の頃、夜、二階の部屋の窓から一階の部屋の屋根に下りて、瓦屋根の上に座って煌々と光る月を眺めたものでしたが、ちょうどアポロ11号が月に着陸したころで、この眺めている月に人間が降り立ったのだと感慨にふけったことを今も思い出します。人間生活のいざこざ、民族や宗教の対立、戦争、テロリズム、そして天災と目まぐるしく変化するこの地球を、月はいつも変わらず照らし続けていますが、コロナ以後私は月を見てある種の既視感を感じます。古代も中世も現代も、時代さえコロナの前ではみな同じ、頼りになる感覚は、体の奥底から湧き上がる心からの衝動だけであり、月は黙ってずっとそれを見ているのです。

 エドガー・アラン・ポーの「大渦に呑まれて」という短編小説で、ある漁師が海に出た時に大渦巻きに巻き込まれ、兄弟は死んでしまうのですが、一人助かったというのがあり、海に落ちて渦に巻き込まれている時、ふと空を見ると月が穏やかに煌々と照らしているのが見えたのが別世界のようだったというのです。どんな混乱や恐ろしいことがあっても、空を見上げれば月が私たちを照らしている、ただそれだけでいいのかもしれない。五十年前の、屋根の上で月を見ている私に、今の私が言えることは、29日は十三夜ですよということだけなのです。

 いろんな出来事を通り越して、ただ月は輝いています。