人生で大事なことは みんなゴリラから教わった

 世界的ゴリラ研究者で京都大学総長の山極寿一氏のこの本のことは、しばらく前の日経新聞の日曜欄に特集が組まれていて知ったのですが、やっと本を借りて読むことが出来ました。”「あるがままの自分を生きる」というのが、ゴリラ流の生き方だ。“ 表紙の裏にはこう書かれてあります。

 一緒に借りたのがヘミングウェイの「日はまた昇る」で、だんだん年を取ると根を詰めて本を読むのが辛くなってきたので、邪道だと思いながら、二冊の本を同時に少しずつ読んでいたのですが、ゴリラもヘミングウェイもよく食べていて、食べることに貪欲な生物は、生きる力が強いんだろうと思いながら、読み進んでいて気が付いたのが、即物的なゴリラ生態記だと思っていたのがそうでなく、ヘミングウェイの文体に負けないほどの文学というか、人間の生き方の基盤を指南している優れた本だということでした。

 今の世の中には、知りたいこと、知らなくてはいけないこと、やってみたいこと、やらなくてはいけないことが満ち溢れている気がする。でも、本当にそうだろうか、そんなにたくさんのことを知る必要もないし、全てをやらなくてもいいんじゃないだろうか、本当に自分が知りたいこと、やりたいことは何なのか、じっくり考えてみたいと、山極氏ははじめに言っています。人間は人間だけで暮らしているわけではない、虫や鳥や動物と、そして植物とも様々に付き合いながら、日々の暮らしを豊かにしています。情報があふれ、情報に頼り、人間同士や他の生き物との触れ合いが少なくなった現代に、人間のコミュニケーション能力を復活させることが必要なのではないか。それぞれのゴリラに名前を付けて付き合ってみると、皆個性が違うことがわかり、それぞれに外見も性格も異なるゴリラたちが、お互いの個性をわかり合って一緒に暮らしているのがゴリラの群れ生活なのです。

 山極さんが若い頃屋久島でサルの生態を調査していた時、屋久島の人々の暮らしからたくさんのことを学んだそうです。朝起きると山並みを眺めて雲の動きを知る、どの方向へ雲が流れているかによって、今日の天気を予測する。山は尾根ごとに名前がついて、岩を抱いて太い根を張る大木や風雨を避ける岩場があり、かっこうの目印になっているので、人けのない森に分け行っても迷うことはないのです。四季折々に移り変わる自然と、人々の調和のある暮らし、自然の恵みをふんだんに受ける食生活や、年の節目に行われる数々の祭礼は、それぞれの準備に人々を巻き込みながら、人々の心に深く根を下ろしています。自然の大切さと文化への大きな影響を、山極さんはサルと地元の人々との交流を通して学んだと言います。アフリカでもそうでしたが、森が深い所では自然が人々をその懐に優しく迎え入れてくれる。

 結婚して二人の子供が出来た山極さんは一家でコンゴ共和国にやって来て暮らしますが、新聞も電話もインターネットもないこの国では市場は皆が集い、それぞれの暮らしの情報を交換する大切な場所なのです。人々がそれぞれ丹精込めて作った大切なものを持ち寄ってそれを売り買いしながら話を交わし、裏手では連れてきた牛や山羊を解体してまだ温かい肉を売るのです。コンゴ地方の低地でゴリラの調査をした時、村の若者が手際よくテントを張ったり食物を手に入れられるのは、子供のころから、親や年上の子供の行動を見てきたし、中学生くらいになると、村の老人に連れられて森の奥深く入り、数か月間自分達だけで生活をするのですが、その時食べられる草や薬草の見分け方、役に立つこと、危険なことなど、野生の暮らし方を学ぶのだそうです。それを知らないと大人になれない、だからどんな森に入っても、怖くないし、くじけない。そう、くじけないのです。漆黒の闇の中で迷子になっても、五感を働かせ、足で大地の感触をつかみ、周囲の状況を感じて本能で進み、何とか脱出する。

 ゴリラから学んだことで一番大きなことは、全ての生き物はそれぞれの個体が個性を発揮して生きているのだから、私たち人間もそれをきちんと意識して生き物と接しなければいけないということで、個性とはその人限りの独特なものであり、決して他の人とは同一視できるものではない。そして、置き替えがたい個性を認めているからこそ、親しく付き合えるというのです。

 ニホンザルとゴリラの喧嘩の在り方について、サルの場合、勝ちそうなサルに加勢するし、普段弱いサルが勝ちそうになると、手のひらを返すように弱いものを応援します。でも、ゴリラは、喧嘩に対しては仲裁するだけで、加勢についたりしないのです。ニホンザルは勝ち負けを重視するけれど、ゴリラは勝ち負けを作らずに喧嘩を止めるのです。

 現代の若い世代は、友達を作ることに悩んでいるといいます。少子化で兄妹姉妹が少なく、学校でしか同世代と付き合わない、塾通いなどで忙しいし、たとえ友達が出来ても狭い範囲の付き合いに過ぎないので、クラス替えや卒業などで新しい環境になると馴染めなくて引きこもってしまいがちです。でもひとたび故郷を出て違う土地に入ったり海外に行ってみれば、何もしなければ誰も近づいてきてくれないし、下手に関わろうとすれば疎ましく思われます。うっかりすれば、だまされてとんでもない目に会うかもしれません。それを防ぐには、友達になれる人を良く見極め、その人にしっかり自己アピールすることが必要です。文化の違う地域や海外からやってきたりして、服装や言葉や食べ物の好みが違って皆と同調できなかったり、肌や目の色、髪の毛の色が違って注目を集めたり、置いてきぼりを食らったりいじめにあったりしたら、どうしたらいいか。まず自分がどういう人間であるかを明らかにして、自己主張すべきである。どんな場所からやって来てどんな経験をもつか、どんな個性を持っているかわからないから付き合うことに戸惑うなら、積極的に自分の体験や能力を示した方がいいし、自分が友達になりたいと思う仲間を見つけ、自分に関心を持ってもらう様に働きかける必要があると、山極さんは言います。

 さらに重要なのは、たとえ友達が出来たとしても、その友達に依存しすぎないようにする、強い依存関係が出来てしまうと、自分を作れなくなるので、あくまでも自分と友達は違うということを前提に付き合う必要があります。孤独を恐れず、あえて友達と距離を置いて、互いに違いを認め合うことです。互いに個性が違うからこそ、それが組み合わさることで面白い創造が出来るし、新しい自分を発見できる。

 個性は言葉ではわかりません。自分を表現するのは言葉を使わなくていいから、何か自分なりに行動を起こしてみることが個性を表すことになります。絵を描いたり、楽器を演奏したり、昆虫が好きだったり、星を眺めるのが趣味だったり料理が得意でもいいのです。もし孤独になったとしても自分を作るいいチャンスだと思い、何かをしながら変わっていく自分を感じることが出来、それが個性を作るのです。自分にじっくり向き合っていると、自分の短所が長所に見えてくることがあります。それを大事にして仲間とつき合い直すことが必要だし、場合によっては仲間を変えてもいい。長い人生の間にはいろんな出会いや付き合いがあります。今いる世界だけが自分の住むところではありません。自分を捨てないでいれば、きっとどこかで気の合う人と巡り合えるはずです。

  本からの引用が長くなったのですが、一言一言がずっしり入ってくるのは、やはりエアビーでの着物体験でたくさんの外国人と接していた時のやり方がこの通りだったからです。自分をさらけ出しながら、相手を観察し着物を着せながら信頼関係を得ていくのは、結局自分を知るためだったのかもしれません。そして、外国人を連れて案内している時に声をかけてくれた桂さんとは本当にまだ短い付き合いなのですが、山極さんの言う「ゴリラの関係」にぴったり当てはまる気がします。あまりに私が異質なことをやっていたので、普通の日本人は無視したり見ないふりをすることが多かったし、同年代の友人はそれを不快に思って遠ざかってしまったのですが、新たに着物の着付けを手伝ってくれる方が今もサポートしてくれたり、桂さんのように全く知らなかった世界を見せていただくことがきっかけで、コロナ後の私の進む道が見えてきています。書家の紫舟さんが生活の仕方を変えて書と向き合っていることを知って驚いたのですが、GAFAに象徴されるクラウド産業にのめりこむ時代は終わりに近づいたのかもしれません。今日の天気は?とすぐスマホで調べるのでなく、外へ出て空を見て風を感じて考えるということを大事にしていきましょう。