両親の墓参り

 神奈川の山奥の父の生まれ故郷にお墓を作って四十年、父はずっと一人でそこで過ごしてきました。元気だったころの母は、弁当持参でよく墓参りに行き、何軒かある親戚のうちに代わる代わる寄りながらお茶や漬物を御馳走になっていたそうです。春の桜や秋の紅葉は本当に見事だと言っていましたが、そのうち母も年を取り介護生活に入って田舎の親戚も亡くなってしまい、小高い山の上にある墓参りはなかなかいけませんでした。

 今年の一月母が亡くなり、コロナ前に無事納骨も済ませ、晴れて両親は久しぶりに一緒になりました。それからしばらく田舎へ行くのも憚られていたのですが、最近次女夫婦がオートバイでツーリングがてら行ってくれたこともあり、紅葉の山の中にいる両親に会いに行くことにしました。電車の中で初めて両親の墓参りに行くんだと感じていたノスタルジックな気持ちも、お寺についてきつい勾配のお墓へ上る道を必死で歩いて居るとだんだんなくなり、息を切らしてやっとお墓の前に行ったら、お墓が綺麗になっていてお線香の灰がたくさん残っていました。ありがたいことです。次女にすぐラインしたら、一生懸命草むしりして、お墓も磨いたんだよと返って来て、旦那さんも信心深い方だし、母が施設にいた頃二人で結婚の挨拶に来てくれて、施設のスタッフさんにもお礼を言ってくれて本当に良い人だと母が喜んでいたのを思い出しました。年もかなり離れているし子供もいないし、何よりも次女のような料理も得意でない妻でいいのかと思いつつも、お正月とか行事の時会うと二人ともとても仲が良く見かわす目と目の温かさにほっとしています。結婚式も挙げていないし、義母からは全く無視されていますが、盛大な結婚式を挙げた姪がドレスを踏んだと壇上で旦那さんを怒鳴りつけているのを見たことがあって、相手の心が好きでないとコロナでステイホームの時など、かなりつらいだろうと思ってしまいます。相手のためにご飯を作れるか、そこが勝負だとしたら、毎日旦那さんにご飯作ってもらっている次女はどんなに幸せなことか、(旦那さん曰く、一人分も二人分も変わらないし、まずいものを食べたくない・・そうです)

 初めて他の人に綺麗にしてもらって、父もびっくりしたでしょうが、自分の生まれ故郷で、近くには父や母や兄弟のお墓もあるし、自然の移り変わりを感じながら、そしてやっと母も傍に来て、良かったなと心から思いました。一時間に一本のバスの時間を間違えてしまい、寒くなってきたので一時間ばかり歩いてツーリングのオートバイがたくさん通り過ぎていく山道を下って行きましたが、深い山をふと見上げるとお墓が点在していたり、クマに注意と立札があったり、ドキッとしながら速足で歩きました。父が子供の頃はバスも車もないから一時間くらい歩いて通学したと言っていたことを思い出し、今同じ道を歩いて居るんだなと気が付いて、ふと空を見上げると三日月が出ています。だんだん山が暗くなり、車も途切れ全く音のしない空間にいるという感覚、どこかで味わったことがある、でも父は死んでお墓に入ってずっとこの空間を感じているということが不思議な気がしました。

 この地域にもリニア新幹線関係の建設が進むということで、コロナ前は山をつぶしお墓も移動させるとか慌ただしく計画が進み、ブルドーザーが近隣の山を壊していくのかと怖れていたのですが、この今の事態に計画はストップしているようで、いつもより田舎は静かだし白サギのような鳥が小川で魚をくわえていたりして、紅葉の綺麗なこの村は静かにたたずんでいます。私たちは、人間は、何処まで壊し続ければ気が済むのでしょう。何のために破壊し,傷つけ、殺していくのか。

 今私たちに必要なのは、この静けさと闇と、そして闇があるから見える光のような気がしています。バスに乗り遅れ延々と一時間歩いたわけがわかりました。父が、私にこの道を歩いてほしかったのでしょう。父の故郷にお墓があって良かったし、ツーリングのメッカだそうだから、次女夫婦もまたオートバイで来てくれるかもしれません。美味しい酒まんじゅうや草餅も直売所で売っていて、甘いもの大好きな次女の旦那さんにぜひ食べてもらいたいものです。ここは私にとっての永遠の田舎なのです。