変身  transformed

 今朝の”にほんごであそぼ”という子供番組のなかで、大人になったら読んでみよう!と推薦された本が、大好きなカフカの「変身」で、私は息を呑みました。娘たちはカフカが好きなんて私の暗い性格の象徴だとずっと言っていたのですが、それを大人になったら読んで見てと勧めるテレビ番組が存在しているのです。

 変身が何を意味しているのか、朝起きたら毒虫になっていたということは何のメタファーなのか、私にはいまだはっきりわかりません。でも、若い頃読んで心に引っかかり、ずーっと淀んでいた何かが、このコロナウィルスの恐怖におびえながら、鬼滅の刃について熱く語る若い人達の話を聞いていると、つながっている気がするのです。文学も音楽も、学校で習っておしまいというものではなく、生きていく上で支えになり指針になると、最近特に痛感しています。コロナウィルスの蔓延以来、カミュの「ペスト」がずいぶん読まれていると言いますが、ペストは不条理が集団を襲ったことを描き、「変身」は不条理が個人を襲ったことを描いた不条理フィクションだと書かれたサイトを見て、だから今ここであの子供番組にカフカを出してきたのかとわかったのです。

 鬼滅の刃のキーワードは理不尽でした。ある日突然家族が惨殺され、突然自分が鬼になってしまう。理不尽なことが起きることが不条理ならば、私たちはその状態が起こりうるという事実を認識したことがなかった。世界は人間という一つの生物のために存在しているのではない。出過ぎた真似をするなという鉄槌が、まず個人に向けられ、耐えられうる個人は自分の存在が何なのか自問し悩み苦しみながら、変身の毒虫のように生きてきました。不条理とはなぜ存在するのか。でもペストのような不条理が集団を襲った時、強いのは不条理を知っている個人だと思っています。

 人類は密閉された場所に高密度で人が集まることで都市空間を作り価値を創造してきましたが、それが否定された今、密閉から開放、密から疎に向かう「過疎化」という流れが新たに生じてきたということです。消費の内容も変わり、自己顕示型の需要は下がり、高級ブランドはその人の人生そのものを豊かにするという風に打ち出していかないと、生き残れなくなるといいます。コロナ前に議論されていた環境問題の多くは都市化の急伸によるものだし、もはや人間にとっての善(人間善)だけを考えればいい時代は終わり、地球善と人間善との交点の向こうに未来があるのだから、技術とデザイン力を使って自然と共に豊かに人間らしく暮らすことが出来る空間を生み出す、そんな社会への転換を一気に図るチャンスなのです。日本の強みは漫画やアニメに培われた"妄想力”あふれた人材の豊富さにあるので、この妄想力とそれを形にする力としての技術とデザイン力で未来を仕掛ける底力を発揮し、世界をリードしていくべきだと、五月のブログに私は書いていました。 人間が自分の世界を再建し、自身の解放に着手することが一番大事なのですが、人間は聞いたこともなければ不確かで知りもしないものに直面しながら、それでも何かしら意味を持ったものを作り上げようとしています。宗教とか国とか今はいろんなものが混然一体となっている時代だからこそ、一番大きいのは個人の思想であり感覚であり考え続ける力ではないかと思います。出生も育ちも環境も選べない、ただそれは差し出されただけ。そこからどう進むか。娘のデニムジャケットに刷り込まれたスヌーピーの名言を思い出しました。「あなたがどうして犬なんかでいられるのか不思議に思う」という問いかけに「配られたカードで勝負するのさ。それがどんな意味であれ」と答えたスヌーピーと毒虫に変身したザムザの気持ちは一緒なのかわからないけれど、貧しいドイツ系移民で理髪師の父とノルウェー系の移民だった母の一人息子として生まれた作者のシュルツは内気で負けず嫌いで孤独な経験もしてきたけれども、死ぬまで書き続けたスヌーピーの漫画が世界中で愛され、その言葉に励まされる人々も多い、そしてカフカの小説のようなわかりにくい暗いメタファーであっても、コロナの中の不条理に立ち向かっていける啓示を受けることが出来るのです。

 救いはなんなのか。不条理をどう理解すればいいのか。

 自分の世界を作り出すこと。糸を紡いで、何かを織り上げること。今はそんな風に感じています。