ブロンテ三姉妹の抽斗

 シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」や、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は大好きな本で、新聞に「ブロンテ三姉妹の抽斗」という本の書評が載っていたので図書館に予約のメールを送ったら、すぐ借りることが出来ました。本を受け取ってびっくりしたのが、まったく新しくて誰も読んでいないことです。今までたくさん本を借りてきたけれどこれは初めてで、栞の紐がページに綺麗に埋まりこんだままでした。まっさらな本のページをめくるたび、牧師館の中でひっそりと暮らしながら紙も不足し自分の部屋もない中で、姉妹が頭の中で物語を紡ぎ出し、本を読んでその世界に浸ることを無常の喜びとしていたことが、いろいろな物(objects)とともに語られていて、とても興味深いものでした。物は私たちを異なる時間や異なる場所に連れていく、遠い昔へといざなうと書かれたところでは、古いドレスを手にした作者がこのドレスは何を目撃したのだろう、これをまとった女性はその時何を感じ、何を見たのだろうと思うし、古いものを身につけたりするのは、その人に対して敬意を払い、扉が永久に開かなくなる前に、その人を暫し呼び戻すことと同じではないかと言っています。本は慰めをもたらすけれど、19世紀初めは非識字者の割合が高く、紙が高価だったため、人々は本を共有し、朗読を楽しんでみんなで学び合ったそうです。

 今は紙があふれ、毎日の新聞に挟まれている膨大なチラシ類はほとんど見ないで廃品回収に回しています。あふれているということが決して想像力を増すことにはなっていないし、誹謗中傷や捏造記事を満載した新聞や雑誌を作るためにどれだけの資源が使われているのか、それも経済を回すためには必要だなどと、まだまだ人間はほざいています。何のために勉強するのか、何のために働くのか、何のために生きていくのか。ブロンテ姉妹はみな短い一生だったし、限られた空間で、限られた物の中で、自分の想像力のみでオリジナルな世界を作り出してきました。

 コロナ禍の中で私たちは制限された生活をずっと送っています。いつこれが終わるかもわからない、でも発想を変えて想像力を駆使して、今までにないものを作り上げるチャンスであると気づけば前へ進めるし、そして何より湧き出てくるような才能は制限された時発掘できるのかもしれません。昨日お茶道具や着物をたくさん頂いた方から、もう一度取りに来て欲しいと連絡があり、夫に車を出してもらったのですが、わかりにくい場所で前に行った時車をこすって傷をつけたというので、渋って嫌がっているのをなだめすかしてきてもらったので、夫は道中文句と嫌味のいいっぱなしで、私は黙って堪えていました。「こんなにうちには着物があるんだから、もういいじゃないか!」

 いや、そうではないのです。うちに着物が来たがっているのです。鬼滅の刃ファンのヤンママが、着付けの練習で頂いた着物を着ている写メを元の持ち主の方に送ったら、「私たちはこういうことは思いつかない!」と返事戴いたですが、確かにそうなのです。ヤンママが着物で自転車乗りたいというので、知り合いに着物用のモンペがあるか問い合わせたら、金毘羅さんで買った紫のモンペがあるから探しておくと言って下さって、百枚以上着物を趣味で縫って持っているけれどもう着ないそうだし、「着物着る人なんているかね!」とも言われてしまいました。でも、トータルで着物を愛し、発想を変えて着物着る人と素晴らしい着物を持っている人をつないでいけば、何かが生まれる時が来ると実感しています。文句を言いつつ夫が運んでくれた包みの中の帯が、今までいただいた他の方の着物にぴったりマッチするのには驚きました。着物と帯が、ひきつけ合い魅せられあってここに居ます。そして、これを自分の感性で着こなす人たちが今います。自分の世界がある事、自分の宇宙がある事。着物を作った人、帯を作ったひと、それを愛して持っていたひと、その魂に魅かれ、手を通して着てみることで自分の宇宙を作ろうとすることが、生きる歓びなのでしょう。神が与えたこの制限という感覚は、実は宝物だったのかもしれません。

 ブロンテ姉妹の抽斗の中には、裁縫道具や手作りの小さな本や、愛犬の首輪や髪の毛で作られたブレスレットなど、種々雑多なものが入っていたそうです。そういえば、引き出しを開けるとそこには小人の国が隠されていて、そっと忍び込んでいくという物語もありましたっけ。村上春樹も地下室の抽斗の中に色々な感情をたくさんストックしていて、いつでも引き出せるようにしていました。今私たちは抽斗の中身を大事に整理していく時期なのです。

 花壇に新しい感覚の花々を植えようと思っています。着物を着た綺麗な方々が、写真を撮る時互いに引き立て逢うような花を、新しく出来た素敵な花屋さんに選んでもらいましょう。