シンドラーのリスト

 暮れに録画しておいた「シンドラーのリスト」をさっきやっと見ました。戦場のピアニストもそうですが、余りに残忍なナチスドイツの殺戮のシーンは辛くて、少しずつ見ていたのですが、ラストでシンドラーが「この車を売ればあと三人救えた」「これを手放せばあと一人助かったのに」と嘆きもだえる姿見て、号泣してしまいました。人を殺すことにマヒしてしまったナチスを止めるのはお金だけだとの割りきり方で、自分が稼いだお金をふんだんに使ってユダヤ人たちを救う姿は、今まで見てきた救世主像とは違うし、離婚もして愛人も沢山いるやり手の実業家なのですが、人のために、人を救うために奔走しているということが何より彼のアイデンティティーなのでしょう。

 前回書いた羽生選手のメッセージが、最前線にいる医療従事者の方々に、自分達が何ができるかということを考え続けていることで、「私たちはみなさんの幸せを作れているか、皆さんのために生きているか」とまで言及しています。初めは意味が解らなかったのですが、シンドラーの考え方、感じ方と照らし合わせると納得できるのです。彼らにとっては、人のことを考えて行動することが当たり前で、それがアイデンティティーであり、「皆さんの目の前に広がる暗闇に、私たちという光が灯るように」希望と決意を持って、今を生きていくというくだりは、暗闇のどん底にいたユダヤ人たちを助けようと考え続けたシンドラーと一緒です。

 コロナ時代をどう生きるか、どんなことをしたら前に進めるかと思うなら、人のためになることをする、人間一人一人がかけがえのない生命の炎であることを忘れない事。だからシンドラーはリストを作って人間を助けたのです。自分のできることを突き詰める。花を作る、花を売る、究極のお菓子を作る、お茶を点てる、一つ一つを突き詰めることで人は救われるし、自分も救われ、仕事になる。人に悪いことをしたり、悪事を働く人間は、コロナ時代は生きられない、コロナは悪を抹殺するために現れたのかもしれないのです。ひとの希望となれるように、心の潤いとなれるように私達は生きていけばいいのです。

 多くのユダヤ人が虐殺され、燃やされるシーンをみていて、ふと焼却炉に入れられる寸前に助かった加賀友禅の着物をいただいたことを思い出しました。汚れていた着物を洗いに出して綺麗にはしたのですが、私は染みついた恐怖や悲しみをどうしても感じてしまい、日本人に着せることは出来ないと覚悟して、エアビーのゲストとして着物体験に来たベトナムの綺麗な女の子にプレゼントして海外に持って行ってもらいました。助けられたとほっとしたのですが、喜んだベトナムでアオザイを作っているママから、オーダーメイドのアオザイを送っていただき、大事にしています。でもこれが私の着物に対するスタンスであり、ずっと変わりません。何とか誰かに着てもらえるため奔走しています。生きとし生けるものはみんな生命の炎であることをわすれないこと。コロナウィルスも生命の炎なのでしょう。激しい愛情を持って、いつも自分の力不足を補う努力をしながら、目の前のことに打ち込んで行きましぃう。