結界

 あやさんのお母様が、処分しようと思っていたけれど、もしうちでいるのなら使って下さいと、大小の額縁を二つ持ってきてくださいました。そこには今まで家族の書が入っていたと言われて、私はよくわからなかったけれどそれ以上お聞きせず、そのまま頂いてタオルできれいにからぶきしたのですが、その時何か普通の額と違う感じがして仕方ありませんでした。何だろう、その空気が重いのです。この額は明らかに意志を持っている気がしました。私が何かを入れて飾ることは拒否するだろうし、着物の布や絵を入れることもできない、どうしようと考えて居て、何も入れない額そのものでいいと思い、長椅子の上に二つ並べて置き、それを見ながら独りで濃茶点前のお稽古をしました。

 村上春樹の小説「騎士団長殺し」を読んでいると、主人公の画家が絵を描く時の精神状態とか衝動とかが、絵を見ていなくても迫ってきて、最近また夜寝る時読み返しているのですが、絵ではなく額の意思を感じるのは初めてです。身動き取れないなら、しばらく静観していようと思っていましたが、昨日和菓子のおすそ分けを届けに来たナギサちゃんとママと、お薄とお濃茶を飲んだ後、いつものように着物や帯締めや髪飾りで遊びだしたナギサちゃんを見ながらママに額の話をしたら、ママの顔色が変わりました。彼女はこの額の中にかかっていた書を見ていたのです。「あれを手放したんですか・・」つぶやくママに、私は初めてあやさんはどんな方だったか尋ねてみました。頂いた市松人形のような恥ずかし気で静かな方となのかしらと思っていたのですが、ママの答えは意外にも「派手な方でした」・・六本木、イケイケガール?私にはよくわからないけれど、あやさんの混沌とした気配だけはわかった、でも今度はしっとりした彼女の成人式の着物や帯揚げや帯締めと、イメージが重ならない‥突然ナギサちゃんが「見て見て」と騒ぎだし、ふと見ると沢山の帯締めを色を組み合わせて三つ編みにし、今度はそれを色ごとに種別して四角い枠を作り、その中に壁にかかっていた黄色に鮮やかな赤いボタンが咲き乱れた中振袖を羽織ったナギサちゃんがいます。こぼれんばかりの色の組み合わせ、これは何なのでしょう。百本以上ある帯締めの中には、細かったり色が地味で薄かったり短かかったりで、ほとんど手にも取ってもらえないものもあるのですが、そういうものこそ組み合わせて三つ編みにしたり細い紐をからませることで、新しいものに変わっていっています。

 お茶道具が描かれた附下に、柔らかい花が咲いている塩瀬の帯を締めていた私は、ナギサちゃんが組み合わせた三つ編みの帯締めをして、前にブローチや花飾りを付けて見たらなかなか斬新で、つくづく感心してしまいました。次の日に娘がくるので、この四角い帯締めの氾濫を見せようとそのままにしておいて、今朝暗いうちに新聞を取りに来て、部屋に入り電気を付けてその帯締めたちを見た時、はっとしました。帯締めたちの結界が存在していました。帯締めたちは絡まり合いながら色のハーモニーを作り、着物がなくても自分達だけで存在出来るのです。向こうにある、額縁も、そう、結界だったのです。人も物も自分の本当の居場所を探し続けているのかもしれないけれど、なかなかそれが見つからずにさまよってしまうのですが、ここではないところでそれが見つかるのかもしれず、その入口さえわかれば行き来が出来て安定するのでしょうか。

 コロナ禍で危険なことはできず、がんじがらめになっていた着物たちの、マイナスの方向へ導く邪気を払ってくれる帯締めの結界と、もしかしてあやさんが気配で教えてくれているなにかの結界、見たこともない、考えたこともない世界があるような気がしています。明日調布からやって来る、霊を感じることが多い娘が、何か解答をくれる気がするのですが、華々しい表街道を歩いて居ないけれど、変わった感性をとぎすませ、独自の道を進む娘の存在感が、コロナ禍の中で増してきている気がします。