麗日初明 瑞気開

 1月31日にうちへやってきた娘が開口一番「今日はババちゃんの命日だよね」と言って、駅で買って来た黄色い仏花を写真の前に供えてくれました。忘れていた私はあたふたしながら、1月29日が命日の叔父のことは覚えているのに、なぜ母の命日を忘れてしまったのか、私の意識の中に入ってこないのか不思議になっていました。

 母が死んだ日のことは克明に記憶しているし、息遣いも苦しみも平明さも最後まで見守りながら、いったん家に帰るため寒い橋の上をを歩いていた時、母はすっと川を超えていった感覚もいまだ持っているのに、長い介護が終わったその日が何日だか、私の中ではずっと不透明なままなのです。

 娘は元気なころの義父の夢も母の夢もよく見るそうで、霊気を感じるタイプなのですが、すっかり様変わりしてあやさんの遺品も飾ってある着物ルームを見て何というかと、私は彼女が帰って来るのを待ちかねていました。紅い星が飛んでいる洒落た黒いマスクをして、髪の毛の先をピンクに染めて、明るく玄関に入って来た娘は、ぐるっと部屋を見渡して「空気が明るくなている」と言ってくれました。そこここにナギサちゃんが施していった細工や飾りがあり、今までは静かに花瓶や置物があったところは造花や髪飾りやブローチなどは彼女の何かの感性によって導かれた光と色彩があふれています。

 「もし、大人がこんな風に変えたら反発を持つかもしれないけれど、ナギサちゃんは子供だから受け入れやすいのではないの?」と娘が言うのですが、でもナギサちゃんの欲のなさ、純粋に物事をとらえている感性は、今の私には必要です。あやさんのことも娘に話したら、自分にもお産の直後に病気になり、赤ちゃんを抱くこともなく亡くなった友達がいて、優秀できれいで頑張り屋さんだった彼女がなぜこんな風になくなるのか理解できず苦しんだそうですが、最後には赤ちゃんの顔も見ることが出来たし、短くても幸せな人生を送ったとみんなで思うようになったと言っていました。あやさんの着物も、人形も、額縁もみんな落ち着いてここに居て、安心している気がすると聞いてほっとして、翌日私の古い額縁を片付けていたら、私が結婚する時、姉のお姑さんがお祝いに下さった書が出てきて、じっと見ていたらあやさんのところから来た額縁に入れる力があると感じたので、小さな方の額にいれ飾ってみました。

「 麗日初明瑞気開 」   うららかな日が初めて上がり、めでたい気が発している という新年を迎えての書だということで、結婚を祝して送って下さったお姑さんのお心を40年たった今、やっとしっかりと受け止めることが出来た気がします。その安心感をみんな感じている。どう生きて行ったらいいのかわからず、自分の気持ちや心の焦燥感に解決がつかないまま年とった私が、数多くの着物やお茶道具や遺品を頂いているわけは、自分も、そしてすべての物が、うららかな日を浴びて幸せな気を発していることに今気が付け、ということなのかもしれません。

 まだまだ非常事態の日々が続いていますが、何かに対して少しでも欲を持ったり、他人をうらやんだり憎んだりしていたら、たちまちコロナウィルスの餌食になってしまう、自分が感染しないようにあらゆることに気を付けて生活していくことが、医療現場という戦場にいる人々に対する思いやりと支援なのでしょう。いっさいの欲を捨て、ただ冷たい池の中でじっと耐えていたカモたちだけが助かったというお釈迦様の話がありました。 

 じっとしていることが、他人の為になる。欲を捨てることが他の人の命を救う。今日は初午です。うららかな日を浴びて、季節を大事に生きて行きましょう。