黒澤和子さん

 水色が好きで、着物も帯揚げや帯締めも水色を選ぶナギサちゃんの影響?を受けて、私もこの色に敏感になってしまい、昨日久しぶりに行ったアウトレットのお店で、掛かっていた水色のコートを買ってしまいました。そういえば「麒麟がくる」で若き日の光秀のキャラクターカラーが水色や黄緑で、余りに鮮やかなその色に最初は違和感を持ったと、主演俳優も言っていたのでした。

 衣装制作は黒澤和子さんで、父の黒澤明監督の映画の衣装をはじめ沢山の監督の作った映画やテレビドラマにかかわってきたのですが、彼女のモットーは「監督のイメージをどれだけデザインに落とし込めるか」だそうです。映画でもドラマでも、映像は監督のものだという環境で育ってきたので、まず監督の考えやイメージを聞き、相談しながら全体の色彩イメージを決めて、つぎに登場人物のキャラクターに合わせて一人一人の衣装デザインに落とし込んでいきます。文献や現存している当時のものを見るとわかるのですが、戦国時代は日本の歴史の中でも、とても派手な色が使われていた時代で、戦国の武将たちは原色など派手な色を好み、自分達をアピールしていたのです。それぞれの登場人物がどんな性格でどんなふうに生きたのかを、史実だけにこだわるのではなく、脚本に描かれている世界観や解釈を参考にしながら、キャラクターごとにテーマカラーを設定しています。同時にそれぞれの人物の個性や将来を暗示させる柄を、遊び心を交えながら考案したとありました。「松永久秀は花火のような人」などと、監督はユニークでわかりやすい言葉で言ってくれるので、それを面白がりながら楽しくイメージを膨らませているという黒澤さんは1954年生まれの午年、私と同じ年なのですが、どう考えても天下の黒澤明監督の愛娘で、仕事も晩年のプライベートもずっと一緒だったその実力と存在感の大きさに太刀打ちできる方は、もうあまりいないのではないかと思います。花火のイメージの松永久秀役の吉田鋼太郎さんが唯一「時代劇なのにこういう衣装を作れるのは勇気がある」と、コメントしていたのですが、黒澤和子さんは息子さんたちとたくさんの衣装を作りながら、「楽しかった」と明るくおおらかに言っています。作っている私たちが楽しまなければ、見てる出さる方にも楽しんでもらえないはずですという南国的な考え方は、お父様譲りのDNAとしか思えません。他の人には言えないセリフだけれど、それが色々なことをよい方向にもっていく力になっている気がします。

 それにしても”麒麟がいく”の衣装制作の過程をたどっていくと、自分の工房を持って生地を選び染め、紋様を入れていくその作業の膨大さや綿密さにびっくりするのですが、それもしらず簡単にいちゃもんを付けられたとしても、黒澤さんにとって意に介すること自体あり得ないのでしょう。自分の目指すものがあり、動機づけがあった上で、長年培った技術や表現力や、知性や教養が積み重なった現在があるという重みに、ただ圧倒されています。

 光秀の若い時の衣装では、「動いた時や風が吹いた時に躍動感が出るように」とか、「黄緑に立涌の模様も当時としては昔ながらの模様だったが、当時の着物は貴重で代々受け継がれて大切に着ていた感じを出すため取り入れた」「祖父や父の着物から擦り切れていない部分の生地をつなぎ合わせて仕立てたというイメージ」「戦国時代は大きな横じまや柄が特徴」と書かれてあって、一つの衣装を作る時、まずは生地、アンティークの着物、反物などを探し、それらをより監督のイメージに合うものにするために、柄入れをしたり染め直したりする。一点もののどんな生地や反物と出会えるかがとても大切なことで、そのための労力は惜しまないのです。

 光秀が父親になった頃の衣装も、清貧生活を強いられている中で、「深みのあるブルーやグリーンを使った小袖や、それに合わせた長襦袢の色などで落ち着きと武士の品格を表している」なんとなく衣装のカラフルさに違和感を持ってしまって、気を入れて見なかった私が、真剣に見るようになったのは光秀の裃(天正裃 直垂の袖を取って簡略化したもの)が左右の生地が違う片身替わりで、色も青味の強い紺と緑がかった黒で、光秀らしい落ち着きと重厚感が出ていることにびっくりした時からなのです。顔立ちが濃くなくて、武将としてはインパクトに欠ける主役の長谷川博己さんは、カメレオン的に衣装により同化できるタイプなのかもしれず、若き日のカラフルな衣装、中年以降の片身替わりのダークな裃と変わっていくことで、演技も変化していったことに驚きました。黒澤さんはそこまで考えて居たのか、それとも力があり技術を尽くして取り組んでいる結果がこうなのか、それにしても手をかけてよいものを作るというポリシーと光秀の性格が一致しています。

 「衣装はそれを着ている人の性格や過去の生活も物語る、これは大切なことで、それを忘れないようにしてほしい。監督の頭の中のものを再現することが自分の仕事で、ファッションショーをやるのでもないし、自分の好きなものを作って自分のテイストを入れて、自分が主役になってはいけないし、黒子というプロ意識を持って仕事に徹していく」とインタビューで答えていましたが、次の大河ドラマの「青天を衝け」でも衣装を手掛けていて、今日見ていたら、藍染めのブルーが相変わらず綺麗でした。

 コロナのこの時代、芯を持って、信念を持って、どう生きるかを追求していくものを作っている人たちがたくさんいることが、たまらなく嬉しいのです。流れが変わってきています。