ミチクサ先生

 日経新聞に連載されている伊集院静さんの小説「ミチクサ先生」は夏目漱石と正岡子規の交友関係や妻鏡子さんとの生活などが生き生きと描かれていて、毎日読むのが楽しいのです。伊集院さんが病気になって休載していた時は本当に心配で、特に間近に迫っている親友子規との別れがどういう風に描かれるのか読みたかったこともあって、病が癒えてまた書き始められることが分かった時は、嬉しくてたまりませんでした。

 漱石は言わずと知れた明治時代の文豪で、読みにくいとか同じニュアンスの事ばかり書いているとか思いながらも、学生時代主だった本は読んできたし、文庫本の「吾輩は猫である」のわからない漢字を漢和辞典で調べ、青いボールペンでカタカナでフリガナふって読んでいたのは小学生の高学年でした。でも何で漱石は文豪なのかわからないまま今日にいたり、今伊集院さんの解釈で漱石の足跡を辿っていると、生まれてすぐ里子に出されてあまり幸せでなかった幼少期やエリートだった学生時代を経て、地方での教師時代をしながら結婚し家庭を持っても、自分の生きる道が定まっていると思えない焦燥感や、いつまでミチクサを食っているんだという感慨が、彼の転換期となったのだとわかって、漱石も今を生きていたんだとしみじみ思います。

 「旦那さまが、おやりになりたいことをなされば、それでいいのだと思います」「この美しい富士山の夕暮れの風景を、旦那様がどんな文章でお書きになるのか、それが読みたいのです」奥様の鏡子さんの言葉です。

 本当にこういったかわからないけれど、伊集院さんも奥様にそういわれたのかもしれない。ストレートな真っ直ぐな道を辿らず、あちこち寄り道してなかなか本道に戻らなかった娘が、四十路を迎え、急に本道からの要請で仕事をしてほしいと言われたそうで、半ばあきらめの境地で娘の行く末を心配する言葉を発しなくなった夫にも、地方の学校からの仕事のオファーがあって、びっくりししているのですが、15歳年上のいとこの奸計により教職を追われてずっと家にいたからたくさんの外国人のゲストの相手もしてもらえたし、お茶の飲み方、着物の小物の選び方、写真撮影などなど全部英語でこなして、ミチクサしていなければ見ることが出来ない、そして貴重な体験をできたし、LGBTQのゲストとのやり取りでも大きな思いやりを持つことが出来ました。

 コロナ以後を生きて行くためには、色々な経験値と価値観の確立が必要でしょうが、悪事を働き人を貶めることに汲々として来た者にはもはや語る言葉は残っていない。今まで地道にやってきたこと、失敗したこと、上手くいかなかったことの積み重ねや、ミチクサばかりしてきた負い目さえもが、これから生きていく上に一番大事な温かい感情の発露の手助けになっていくのかもしれません。みんなぎりぎりの瀬戸際で生きて行く今、毎日楽しみに、新聞を取りに行くことが出来るのがうれしいのです。まだまだ寒いけれど、植えたのを忘れていた球根の芽がそこここから顔を出し、ちいさなブルーベリーの苗木から新芽が出始め、茶色かった雪柳があっという間に緑になっているのを見ながら水をあげていると、春がもうすぐ来ることをしみじみ感じています。さあ、私も卒業式用の振袖と袴の用意をして、春に備えましょう。