秘すれば花

 世阿弥の風姿花伝の中のこの有名な言葉を今グーグルで検索すると、なんとテレビドラマ「俺の家の話」の中で出てきた潤沢というグループの劇中の歌が出てくるようになってしまいました。このドラマではジャニーズジュニアの男の子たちが謡や仕舞いをするシーンが多いし、長瀬智也や桐谷健太という若手俳優が道成寺のさわりを演じたり、宗家役の車椅子に乗った西田敏行も若い頃観世寿夫さんに謡を習ったとあって、朗々とした声で孫たちに稽古を付ける様に圧倒されています。

 「秘すれば花」とはどんな意味なのか、きちんと調べて見たら、他人に隠しているものは本当は大したものではなく、秘伝されたものそれ自体は必ずしも深遠なものではないけれど、誰も気づいていないという珍しさ、意外性により感動を生む芸となったり、相手に勝つ秘策ともなる、つまり秘することそのものが芸の最大の花を生む秘伝であるとありました。

 そして「初心忘れるべからず」という、同じく有名な言葉は、初心の頃の未熟な考えやわざをいつまでも捨てないということで、役者の年齢による、その時々の最も旬の演技を常に忘れず、芸の種類、幅として保持し、いつまでも披露できるようにすることで、花は心、種はわざであるというのです。初心の芸を捨て去ることは、芸に何百種類もの花を咲かせるための大切な種を捨ててしまうこと‥

 最近歌舞伎や能のテレビ放映がよくあって、なかなか劇場に行けないから本当に嬉しい限りなのですが、昨日は中村吉右衛門さんの観世能楽堂での一人芝居「須磨の浦」の放送がありました。吉右衛門さんの舞台は何度も見ていますが、その情感あふれるたたずまいは大好きで、なんでこんな演じ方が出来るのかと思っていたのですが、今回の須磨の浦は自ら作、演出、主演したもので、紋付き袴で素で登場します。「災難、災害など歴史上繰り返してきたことを皆さん乗り越えて今の人類の幸せがあるのではないか、そのようなことを芝居に重ねてご覧いただけたら」と語っているのですが、今図書館で借りてきた「ワクチン・レース」という切実な内容の本の扉ページに「子どもも、男も女も幸福で、平和と創造を楽しむことができる、そんな健全な社会が天から与えられることはない。私たちは自らの手でそれを創らなければならない」というヘレンケラーの言葉が記されてありました。そしてエピローグの言葉はヘルマン・ヘッセの「いいかね、歴史を学ぶということは、冗談でもなければ無責任な遊びでもないのだよ」と締めくくられています。

 吉右衛門さんは自粛生活で歌舞伎もできない中で、やむにやまれぬ気持ちで自分のできる花を差し出してきた、意表を突くような簡素な演出なのに、絢爛たる衣装を着け大道具小道具そろった中で見るものと違ったものを出すことで、そして素の自分を全部さらけ出すことで、私達に花を見せてくださいます。歌舞伎は好きだけれど能にはアレルギー反応を示す夫が、「何で吉右衛門さんはこの演目を選んだんだろう」と聞いてきました。私はこの有名な一谷嫩軍記は歌舞伎で見ていないので、残念ながらセリフを聞きながらの感情移入ができないのですが、一緒に放映された歌舞伎の熊谷陣屋の最後、幕が下りた後で僧侶姿の直実が編み笠を両手でしぼるように被って顔を隠し、全身でのたうち回るような悲しみを出して、ようよう花道を歩いていく姿に、茫然と涙してしまいます。なぜこんな表現が出来るのか、何でこんな風に表現したいのか、能では面をつけ、そのかすかな動きによって凝縮された感情を表すのですが、新しい歌舞伎を目指した吉右衛門さんにとって初めての能舞台、私にはまだよくわからなかったというのが、正直なところです。でも初心忘るべからずではないけれど、これまで何十回も演じてきた感情をまた新たに考え直す、自分の表現したいものは何なのか考え続ける姿勢に強く打たれています。

 狂言の野村万作さんがおととし米寿を祝う会で舞った時、劇場空間に幸福とか喜びとかいうものの雰囲気をまき散らすのは、年取った人間だからこそできる。年を重ねて意識するようになったのは、役に対する優しさで、役を愛することが役を深めていくことだと思うと言っていたことが深く心に残っていたのですが、コロナ禍の今、吉右衛門さんが違う形で違う心を見せてくださっている。年を重ね素晴らしい芸歴を持ち、華々しく活躍している方々が、己をさらけ出し何かを作り出そうとしている姿をみながら、これから生きるのに一番大切なことを私も追い求めていかなければならないと思うのです。演劇評論家のコメントが「これは秘密を抱えた男の孤独の舞台」というものでしたが、孤独を表現することを考えつくし芸にする努力をしていれば、永久に孤独ではない。秘すれば花、初心忘れるべからず。

 録画して見ている「俺の家の話」で西田敏行演じる能の宗家が、認知症になり車椅子に乗りながら、歌ったマイウェイの意外性と素晴らしさを引き出した脚本家の才能と温かさに、介護介護の生活を十年以上続けている私は救われています。だから、私も初心を忘れず、何かを紡ぎ出していかなければならない、着物をまだまだ持ってきてくださる方のために。