流木

 最近は本当に皆さんにいろいろな物を持ってきていただくのですが、今日はあやさんのお母様が、なんと小さい流木を三本持ってきてくださいました。熱帯魚の水槽を買った息子さんが、ネットで中に入れる流木を注文したら五本も入っていて、大きすぎて水槽に入らないものをうちに届けて下さったのです。さあどうしましょう。お雛様バージョンの飾りを片付け終わり、五月節句の人形に移行するにはまだ少し早いから、正面の受付のスペースに何を置こうかちょうど考えて居たので、この形の面白い流木をオブジェとして何か作っておけば、そのうちナギサちゃんが遊びに来て変化を付けて飾ってくれるでしょう。草履のたくさん入った棚に布をかけて目隠ししたり、少しずつ模様替えをしていたら、渋谷に住む五か月の赤ちゃんがいる外国のママから着物の予約が入りました。二時間だけというので、うちの中で着物着ていろいろ体験したり、ティーセレモニーしたり、写真撮ったりして、着物プレゼントして、というコースにしますが、まだコロナウィルスの感染も怖いので、このくらいが安全な気がします。

 それにしても、流木がうちに流れ着いたことに何か訳があるような気がしてさっきサイトで調べて見たら、スピリチュアルな意味が隠されていることにびっくりしました。それによると、流木は再出発を告げるもので、一つの使命が終わって次の使命やテーマに人生が向かい始めることを意味するのだそうです。これによって次の使命が見つかるとか、偶然の導きによって運命が変わっていき、今は主体的に動かなくていいし、考えなくていいけれど、潮の流れが流木を今とは違う地点に押し続けてくれるように、自分が動かなくても世界が動いていき、自分が何もしなくても周囲は変わり、新たな出会いや使命がやって来る。運命の導きで意図したことではないけれど、次の使命やテーマに運命が向かい始める。Let it be。まさしくそのままなのでしょうか。

 あやさんのお母様が次々に運んで下さるものは、あやさんが意図したものなのかもしれません。11月にお孫さんの七五三の着付けを今日頼まれましたが、あやさんの気配が立ち込めるこの空間は、皆を守ってくれている気がします。