心に光がある

 このところ、意表を突かれるような出来事やニュースが多くて、「えー!」と毎日びっくりしています。若い柔道家が亡くなったり、歌舞伎の中村吉右衛門さんが心肺停止になり救急搬送されたり、コロナ感染もリバウンドで増加していて心配なのですが、私は今週の土曜日の午後来る予定の外国人ゲストを受け入れるため、エアビーの方針に沿って掃除をし消毒をし、ひたすら準備をしています。飾ってあった小物も片付けて、なるべく物を置かないようにして、ゲストがくる直前にも最後の消毒をしなければなりません。

 今までとあまりに違う準備で、なんとなく鬱々としてしまった気持ちを高める出来事はないかとパソコン開いたら、アイスダンスの最近日本国籍を取ったアメリカ人の男子選手が「心に光があるので、どういうことがあってもあなたのスケートは変わらないよ」ということを他の選手に言われてとても嬉しかったという記事がありました。

 義母の兄弟関係は金銭問題で決裂し、弁護士を立てるまでになり、泥沼化していますが、借りたものを返さず嘘をつきまくる甥に腹を立てる気にもならず、私たちはあきれ果てています。いい人間と悪い人間の違いは何なのかと思っていたら、先ほどのスケーターの話の中の、心に光があるかどうかだと気が付いて、心に光がない人たちのことを悩む必要はなかったとわかったら、とても気が楽になりました

 早稲田大学の文学部の入学式で、村上春樹がサプライズでお祝いメッセージをしたそうで、夜中にスマホで読んで見たら、キーワードは「心を語る」で、やはり今大切なのは心なんだと痛感しています。心で書かないと良い小説は書けない。そして、ふだん自分の心だと思っているものは、心のほんの一部分に過ぎない、自分の意識というものは、ほんのわずかで、後は未知の領域として残されているけれど、私たちを本当に動かしていくのは、その残された方の心であり、意識や論理でなく、もっと広い、大きい心だというのです。その未知の領域をどう探り当てればよいのか、自分を本当に動かしている力の源をどうやって見つけていけばいいのか。その役割を果たしていくものの一つが、「物語」だというのです。物語は、自分の意識が上手く読み取れない心の領域に光をあててくれるし、言葉にならない自分の心をフィクションという形に変えて比喩的に浮かび上がらせていく、それは一つ、一段階、置き換えられた形でしか表現できないことです。社会にも心というものがある、意識では、論理だけではすくいきれないものをすくい取り、心と意識の間にある隙間を埋めていくのが小説だと村上春樹は語りました。「物語を開こう、心を語ろう」社会が健やかに進むためには、小説が必要不可欠である、というのは、村上春樹が小説家だから言う言葉で、他の分野だったらその仕事の中で言う言葉になるのでしょうが、様々な情報が錯綜し、こんがらがる現在に大切なことは、心にある光を、その温かさをいつも感じていることだと思っています。

 さあもうひと頑張り、掃除と準備に励みましょう。