ノエルからのメール    Email from Noel

 予約のメールはほとんど届かないエアビーのサイトに、三年前にゲストとして来て、一年前にはニューヨークでコロナ感染してしまったという連絡をくれたノエルからのメールが来ていました。"How are things in Japan? Are things going back to normal yet? "

いやはや日本はノーマルとは程遠い状態です。イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、北欧、東南アジア、オーストリア…いろんな国から来たゲスト達に去年安否確認のメールをしたけれど、何処もまだまだ混乱しているでしょう。確か、東南アジア系のルーツを持ち、ニューヨークでヨガのインストラクターをしていたノエルは、どうしているかと思いながら、今私に言えることは何だろうと考えています。

 今私たちは、世の中が変わっていく不思議な瞬間に立ち会っています。いみじくも、92歳の義母が今まで生きてきて、こんな経験は初めてだというくらいの異次元の世界にいるのです。でも世界が変化しまくっている時だからこそ、変わらないものが見えてくる。今できることは何だろうと冷静に考えられる人は、多分今まで抑え込まれたり、自分の資質で自分を制限し続けてきた経験があるのです。思春期から青春時代、私は訳のわからない焦燥と何かを求めているのにそれが何だかわからない混乱の中にいて、若者らしく楽しみを謳歌することを、どうしても選べなかった。富山の廃村で哲学を学ぶ私塾にいて、農業を体験していた時が一番自分らしく落ち着いて居られると感じていたものの、自営業の夫と結婚して子育て、介護と無我夢中であっという間に四十年たち、年は取ったけれど自由に動ける時が来たのが今なのです。普通なら旅行を楽しんだりのんびり余生を過ごすのでしょうが、この事態が起きて、今世界は止めることを正義としています。コロナウィルスの感染を抑えるために、人と会ってはいけない、接触してはいけない、集ってはいけない、動いてはいけない。でも、この感覚を、すでに私は何回か味わったことがあるのです。家第一主義の義父はすべて自分の監視下に置きたくて、色々な行動を止めさせられ、幼い息子と部屋の中で晴れた青空を見ながらなぜここから出られないのだろうと絶望的になった日々もありました。

 生まれなければよかったとか、なんで自分は生きているんだとか思った若い日の葛藤も含めて、これまで自分の中で持て余していた感情は、なんとこれからを生きていく上に必要なものだったのです。コロナ禍というのは、人生を磨き上げるためのチャンスかもしれません。できない事がたくさん生まれたおかげで、どうしても自分がやりたいことが浮かび上がる。大切なものを自分の中で見つける。世界が変わっても変わらないものは何でしょうか。暗かった夜が終わり朝日が差し始めた時の嬉しさ。義父母の圧迫が朝になるとまた始まると思った時の朝の光は苦しかったけれど、そんなこんなの積み重ねの感情が、今役立っているのです。あの時よりも今の方が格段に楽なのです。こんな状況だけれどこれはやる、できる、これだけはやるのそれは、この時でも幸せでいられる方法であり、動揺や感情を誰かにぶつけることなく、落ち着いて目の前の状況に対処できる方法です。「新型コロナの科学」という若い化学者の本を読んでいたら、あとがきにカミュの小説「ペスト」からの引用があって「ペストと戦う唯一の方法は誠実さというということです」とありました。あの時代からそうだったんだ…自分の生き方において、誠実でないと、変わってしまった世の中では生きられない。人間が生きて行く本質は何か。エヴァンゲリオンの問いです。今の私にとっては精神的に人と交流することが出来る、人に喜んでもらうための努力が毎日できるということが、かけがえのないよろこびなのです。

 ノエルさんもいろいろ大変でしょう。でも、私の今の気持ちを何とか伝えられたらと思います。