虹の彼方に   Over the rainbow

 おとといは大きな綺麗な虹が出たのですが、夕方ヤンママがラインで教えてくれなければ、私たちは気が付きませんでした。夫はすぐ写メ撮ってグループラインで仲間に送り、私は雨が少し降っていたけれど、しばらくベランダで虹が消えるまでずっと見ていました。通りの飲食店は五月末まで営業できないし、のんきに虹が出たと喜んでも居られないのですが、ワクチンを打てば元通りの世界が戻って来ることはないだろうし、もう私たちは違う世界に踏み出しているという意識と、目の前に広がる深い河をどうにかして渡っていかなければならないと覚悟していた時に、大きな綺麗な虹が出て、神様は何と不思議なプレゼントを見せてくれたのかとしみじみ思います。

 虹の彼方にという歌がありました。深い河があってなかなか渡れない時でも、大きな虹がかかれば、その虹の向こうには輝くような愛情と魂の誠実さが見えているのです。そういうものの存在をはじめから知らない者は、川のこちら側にいればいい、その儚く淡い虹が実体であることがわかる者は、それを目指してとことん努力をすればいい。世の中はかつてないほどわかりやすい図式をとっています。人を貶め、蔑み、苦境に陥れる者は、滅びの門に向かって行く。そこにもし、綺麗な大きな虹がかかって居ようとも、目に入らないのだから。

 今は何をやるのも困難な時期ですが、着付けの稽古に来てくれるヤンママも、雨が降り着物を着るというテンションもなかなか上がらないのではないかと思っていたら、昨日はお母様のだという白地に小花の咲いている小紋を持ってきて、明日来るお姉ちゃんに着せたいというので、着物ボディで練習しました。でも姉ちゃんは細身でなで肩、ボディの祥子ちゃんはがっちりしているから、いろいろ考えなければならないと思い、私はありとあらゆるやり方を教え、ヤンママも際限なく質問してきます。

 結局、何をやるにも場数を踏むことと、慣れが大事だと思うのですが、外国人のゲストを着付けるようになってから、体型や民族性や性格や、あらゆるものを考えて感じて着物を選び髪を結い着付けをしてきて、失敗も多かったけれど、最後には相手が綺麗で喜んでくれて文化を感じてくれればよいし、そこには私が何をしたなんて、まったく痕跡は残らないのです。技術を高め、精度を上げる、そして最後に相手が自分の感性を発露してくれれば、それでいいのです。

 昨日美容師の寛子さんに髪を切ってもらいながら話をしていたら、彼女は1970年代のボヘミアンファッションが今大好きで、私が若かった頃どんな服を着ていたかいろいろ聞かれたのですが、残念ながら、おしゃれでない私は洋服を主義主張で着ていた記憶はありません。でも最近ボディに着せてヤンママに見せたら大変好評だった、作家物の自由奔放な模様の加賀友禅の訪問着がボヘミアンチックな着物かもしれず、その写メを寛子さんに見せたらその着物に合うヘアスタイルにして、今度彼女がうちに着付け習いに来るときにはそれを着てくれと頼まれました。何か、また方向が指し示されてきた感じがして、”ボヘミアン”という言葉を調べて見たら、使われ出した頃は政治的迫害や差別で、故郷を追われた故地喪失者というマイナスの意味でした。そして、チェコのボヘミア地方には、”ジプシー”と呼ばれるロマの人々が、数多く住んでいたというのが通説で、ロマ系の人が多く住んでいた、家賃が低いロマーニ地区に、貧しい芸術家、ジャーナリスト、作家などが集まりだし、ボヘミアン主義という流れが生まれ、19世紀のフランスの定職や伝統にとらわれず、自由奔放に生きて来た芸術家のグループが「ボヘミアン・アーティスト」と呼ばれ、ここからボヘミアンの意味が「自由に放浪する人」というプラスのイメージに転じていったようです。ボヘミアンファッションとは、チェコのボヘミア地方に多くいたとされる、通称”ジプシー”と呼ばれるロマ系の人達に由来したファッションを指し、ボヘミア地方の民族衣装やフラメンコの衣装などを含むロマ系の奔放なイメージがありますが、ボヘミア地方の民族衣装をイメージしたデザインの、フォークロア(民族的な)、ペザント(農婦)ロマンティック(詩的)の要素も含まれます。英語ではBohemian styleといい、旅と自由を愛するヒッピーのファッションを彷彿させ、フラメンコの衣装もボヘミアンのファッションに入るし、スモックブラウス、ベレー帽などを用いた独特なファッションを指す場合もあるし、要するに民族衣装のテイストを取り入れつつ自然回帰的で、ボヘミアン柄とはジプシーを連想させるエスニックやエキゾチックな模様です。

 最近着付けを習いに来る若い人たちの個性とか、好みの基準はどこにあるのだろうかと良く思うのですが、今回寛子さんの個性のルーツをたどっていていると、まるで違う言葉を話す外国人のような気がしています。ゲストと会っている時のように短い時間の中で交わした会話のかけらを広い、そこを手がかりにして、相手の生い立ちや何に影響を受けてきたのか、何を追い求めているのか探っていくのは面白いものです。寛子さんは日本人だし、いろいろ聞けば答えてくれるのだけれど、なぜボヘミアンファッションに魅かれるのか、私の髪をどのようにカットし、何色にしたいのか、ロンドンで美容の武者修行していた時、何を考えていたのか、でも、余り突き詰めて聞いてはいけない気がしています。

 忙しくてしばらく着付けの稽古に来なかった寛子さんが、来週来たいと言ってきて何か変化を感じたのだけれど、自分のアイデンティティを持っていて仕事をしている方が、着物をいかに着ようとするのか、私の着物姿をどう変えたいのか、凄く楽しみなのです。帰り際に着物姿に真珠のイヤーカフを付けたらアクセントになるかもしれないと彼女が言ったのが気になり、またまた調べたら、これ、あやさんのお母様がよくしていて、ショートカットにとてもよく似合っていたのですが、私がこの髪で着物着てイヤーカフしたらどうなるかしら、わからないけれどやってみようと思います。

 1970年代のファッションぽい柄の着物も探せばうちにありそうで、若い子の「これ、可愛い!」という言葉の根っこには、意外と深いものがあるかもしれず、もしまた外国人が来たりするときに選択や可能性を広げられる良いチャンスを与えられているのでしょう。   

 虹の色というのは、すべての感情を刺激するもので、これまで味わった様々な感情やイメージがあふれてきて、これを統合して次に進んで行くというのです。「一つの感情」にとらわれてきたのが、そこから解放されて、感情の幅が拡がっていく、そしてこれからの自分に無限の可能性を感じていきます。もっと、自分の内側にある様々な感情を表現していきたい、そんな心の広がりは、自分の為ではなく、虹の彼方にあるものを皆と見るために必要なのです。

 もうすぐ67歳になる私は、今全く新しい感情に目覚めています。