エヴァンゲリオン

 以前放映されたエヴァンゲリオンの作者庵野浩明さんのドキュメンタリー番組を娘の勧めで録画して、毎日少しずつ見ていますが、正直優柔不断ではっきりしない庵野さんが迷って淀んで沈んでいる場面ばかりで、面白くないし気が滅入ってしまい、なかなか見続けられないでいました。それを娘に言ったら、それがエヴァンゲリオンのシンジそのものだし、現場で働いている人たちも、なかなか方針が決まらない庵野さんだからこそ、自分達が考えて決定することも多くあるので、スムーズに作られるよそのアニメ会社より面白いのだそうです。スタジオジブリの宮崎駿さんは、20才下の庵野さんのことを宇宙人と言っていますが、発想の特殊さとか、危機状況における対処能力は物凄いものがあって、コロナウィルスが蔓延しだしても、庵野さんは絶え間なく動き続けています。

 でも、私はエヴァンゲリオンもテレビ放映を録画して見てもどうもよくわからず、途中で投げ出してしまったのですが、ドキュメンタリーの後半、庵野さんの生まれ故郷の広島取材が始まり、お父様が事故で片足なくしてしまって、世の中を憎んでいた事とか、休みにも外に出かけることがほとんどなくて家にいた事を語り始めた頃から、一気に引き込まれてしまいました。お父さんの存在を肯定することは欠けている足も肯定することであり、ロボットやアニメが大好きになって、宇宙戦艦ヤマトのセリフを全部暗記したり、大学時代はウルトラマンの動画を自作自演で作ったり、自分の思いのままに突き進む庵野さんは、今もそのままの姿なのだそうです。「本来は完璧なはずなのに、どこかが壊れていると、僕は面白いと思う」庵野さんはドキュメンタリー番組で、幾度となく「これは面白くない、普通過ぎる」という言葉を発し、猛烈なダメ出しをスタッフに与えています。

 そうやって突き進んだ結果、庵野さんは「人の本質とは何か?」「人は何のために生きるのか?」といういつの時代にも通じる普遍的な核を持つテーマをエヴァのテーマに込め、シンジ、レイ、アスカ、マリ、個性にあふれたキャラクターたちが、人造人間エヴァンゲリオンに搭乗し、それぞれの生き方を模索する物語を作り出します。人と世界の再生を視野に入れた壮大な世界観と細部まで作り込まれた緻密な設定、デジタル技術を駆使した最新映像が次々と登場し、美しいデザインと色彩、情感あふれる表現が心に刺さるのです。面白いとかそういう概念を超えて、これはアニメなんだろうかとすら思えて、途轍もない現象を見ている気持ちで、これはもはや神話だな、シンジ君は神話になったのかって思えるし、幾度もの世界ループを繰り返し、ついに自身の犯した罪と向き合い、自分にとっての”幸せ”を願うことに成功したシンジが、”救世主”としての役目を自覚したことは、それはシンジ自身を、何よりもエヴァシリーズの物語世界で悲惨な仕打ちを受け罪を犯さざるを得なかったすべての登場人物たちを救う願いでした

 “造物主”である庵野秀明らが見守る中、『シン・エヴァンゲリオン』終盤でついに“少年”から“大人”の心へと成長し、思い続けてきた父母との決別も終えられたシンジは、“エヴァの存在しない世界”を新たに創造しました。

 人間は孤独な単独者である。死を恐れる不安な存在である。それらを忘れた時、人は付和雷同し、その自らの意志を捨てる。これは大いなる力を与えられた少年の勇気ある「決断」の物語である。人造人間エヴァ。これは庵野さんが自ら作り上げた世界であり、彼は造物主であり、全てを支配して、そして少年たちを作り上げ育てゆく物語だとしたら、そこに行きつくまでどれだけの長い時間とためらいと悩みがあったことか。庵野さんが苦しんで鬱になりダメになりそうな時、ジブリの映画「風立ちぬ」の主人公の声優として抜擢した宮崎駿監督は、庵野さんが現代で一番傷つきながら生きている感じを持っていて、その経験の痛みが声に出ていると思ったし、その痛みを前面に出すのではなく、技術者らしい淡々とした口調の中でそれでも何かを思わせる声を出せる表現者が見当たらず、それなら実際にそういう経験をしてきた人間の素の声を使ってみようと思ったのだそうです。

 作り出すことがその人の性<さが>であり、生きて行くアイデンティティであって、でも、その作品を見ることにより救われる人がたくさんいるし、そのひとの考え方や思いが与える影響力の大きさを、私はたくさんの外国人のゲストによって教えられてきました。生きづらい時に、いかにして生きて行くか。庵野さんのお父さんは自分のせいではないのに片足を失い、ずっと世の中を恨んできた、生活そのものが生きづらい、その子供として父と一緒に暮らしてきた庵野さんは、それを根っこにして作らざるを得ないものを作ってきた。

 これからずっと続くであろうコロナ禍の中で生きる希望はどこにあるか。それは何かを目指して、前に進もうとする原動力を持つか否かだと思う。庵野さんは会社を持ち、社員を雇い、仕事をしている。いくらでもやろうと思うことが出てくるのです。

 人が生きている意味とか訳とか、本当に苦しい時にどうやって前へ進めるか考えた時、私はたぶん子供の頃から不可解な感覚を持って、人と同じ道を歩むことが出来なかったのです。宮崎監督の「もののけ姫」のキャッチコピーが”生きろ!”だったのに対し、庵野監督の「エヴァンゲリオン」のそれは”みんな死んでしまえばいいのに”だったと娘に教えてもらった時、納得しました。皆と同じように生きられなくて苦しんでいる時は、先も見えなくて、自分だけ取り残されてしまう恐怖しかなくなる、それが消え去る世界があればいい。本当に暗い世界でした。 外国のゲストと一緒にいる時、こういうことを考えているとわかる男の子がいました。言葉に出してわかる事ではないのだから、言葉が通じなくても、ただ、わかりました。だから、私は変だと、みんな言うけれど、わかるのです。そして庵野さんはそれをキャッチコピーにしてしまったのでした。

 でも今は、自分の前の道を開いていけば次の人も進んで行けるとわかります。一番大事なのは自分の中にどれだけの抽斗や積み重ねがあるかということで、今は娘の抽斗の中からも探っていける、子供に教えられることが多くなったことに有難い思いがします。庵野さんの言葉に「お父さんありがとう お母さんさようなら 全てのchildrenにおめでとう」というのがあったのですが、私は母というものが、さようならといわれる存在であると自覚することで、何も引きずらないで新たに進んで行けると気が付きました。今日は雨降りで、外にも出かけられない、でも頭の中に、心の中に、沸々と沸き続ける感情があり、思いがあり、外に出たがっているのだから、その方法を考え続け、紡ぎ続ければいい。

 庵野さんは変人で宇宙人でどうしようもないといわれ、彼を中傷するサイトを見てもう死んでしまいたいと思ったり、鬱になったり、凄まじい精神状態の時、奥さんの漫画家安野モヨコさんは、皆が周りから去って居なくなっても、私はずっとそばにいるからねと、温かいまなざしで庵野さんを包んでいます。ドキュメンタリーの中で、田園風景、工場地帯、電柱のある街並み、駅の階段を駆け上がるところまで、デジタルカメラを持っていろんな風景を写している庵野さんはそれをみんなエヴァの画面に取り入れています。

 やっと私はエヴァをきちんと見ることが出来そうです。