イサム ノグチ

 次女が、弟のインスタグラムをたまたま見ていて、「凄いよ!はじけてる」と教えてくれたのが、去年のお正月、それから私と夫はフォロワーになり、たまに見ています。ヨガしたりマラソンしたり、料理作ったり、コーヒー淹れたり、次女に比べ格段にマメなのですが、たまに会うと、太りすぎだから体重を落とせとか嫁を貰えとか、親という外野はどこでもうるさいのです。

 私たちがインスタを見ているから、投稿するのも控えるかと思ったら、そんなこともなく、このところ英文交じりの内面的な内容が増えて、長女と一緒で私の知らない世界に踏み込み、何かを探している感に驚いています。この前は都美術館でやっているイサム ノグチ展に行ってきて、丸い和紙のような照明の写真が上がっていて、コメントは自分には、日本人とアメリカ人のミックスとして第二次世界大戦のさなか、アイデンティに悩み続けたイサムノグチのような葛藤はないが、それが良いことかわるいことかわからないとありました。

 この自分の中に在る”違和感”は、イサムノグチの作品の中の普通でないいびつさや引っかかりとつながり、庵野浩明さんがお父様の片足がないことを受け入れて、欠けているものに魅かれるように、イサムノグチも自分の中の、ミックスの中で生じる違和感に魅かれるし、それが気持ちが良いというのです。マイナスと思える違和感がインスピレーションを生み、彼の感覚は日本人に新鮮に感じられる。日本文化の素晴らしさがストレートに刺さる。懐かしいという気持ちが新しい。懐かしいものから影響を受けて、新しいものを作り出す。いろいろ調べてみると、いろいろわかり、息子はイサムノグチの何処に魅かれるのか少しわかったような気がします。

 日曜日に都美術館のイサムノグチ展の予約をしました。私が何か感じられるかどうか、不思議な気持ちでいます。