Integrity インテグリティー

 台風の影響が心配されたオリンピックの閉会式も無事終わり、選手たちが帰国する様子がテレビに映し出されています。それにしても、なぜこんなに閉会式の演出が不評だったのか、その空虚さが世界中に放映されてみると、かえって清々しくて、どん底に落ちたなら原因を見つけてそこから這い上がればいいのだと思っていたら、<インテグリティの構築が追い付かない>という記事を見つけ読んで見て、これぞ核心をついていると納得しました。

 オリンピックが掲げる核心的な価値は「インテグリティ」であり、「誠実性」「統合性」と訳され、「誠実性の基礎となる人格的な統合性」ともいうべき概念だそうです。1954年にピーター・ドラッガーによって書かれた「現代の経営」では、「真摯さに欠けるものは、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる」「インテグリティの欠如は部下からの失望を招くだけでなく、最終的には組織そのものを腐敗させる」また、インテグリティが欠如している人の特徴として、「人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者」「冷笑家」「『何が正しいか』よりも『誰が正しいか』に関心をもつ者」「人格よりも頭脳を重視する者」「有能な部下を恐れる者」「自らの仕事に高い基準を定めない者」などがあげられています。アメリカ企業の経営方針や企業理念には、「integrity」という文言が頻繁に使われており、それだけ広く浸透している概念だといえるのでしょう。

 13年前に亡くなった義父が、戦争中は海軍にいたこともあって、船が沈むのはトップの人間が悪い時だとよく言っていたのですが、ここまで地球の環境や気候変動が最悪の状況に進んでいるのに、まだ自分の権力への欲望のみに突き進むトップがいて、そこに続く者たちのインテグリティがないということが明らかになっていて、神はそれを見て、今のこのコロナ禍の状況を作り出しているのかもしれません。

 「人は人の不完全なることを許す。ほとんどの欠陥を許す。しかし一つの欠陥だけは許さない。それが真摯さの欠如である。」

 「学ぶことのできない資質、習得することができず、もともと持っていなければならない資質がある。他から得ることができず、どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。才能ではなく真摯さである」

 「真摯さに欠けるものは、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる」

 今回の閉会式を作り上げた人物は、組織の上層部たちなのだし、新体操やシンクロのようにそのパフォーマンスの優劣が採点される競技だったら、「誠実さ、真摯さがない」と酷評されるものでしょう。それは仕方ない。何が美しく、何が優れているか、見極める感性がないのだから。

 

 個々のアスリートやアーティストは自分を鍛錬し、磨き続け素晴らしいパフォーマンスを繰り広げている。それなのになぜ組織を腐敗させようとする人間しか残っていないのか、誠実に、真摯に、ストイックに練習し続けてきた競歩の選手が、あまりの暑さに内臓をやられ、悔しくて地面を叩きながら植え込みで嘔吐する姿を、冷房の効いた一流ホテルで御馳走を食べながら見ていられるのでしょうか。だからその競技はもうオリンピック種目には入れないという論理にたどり着く組織に、競歩という競技を愛するアスリートが抗議しています。 

 インテグリティの欠如は部下からの失望を招くだけでなく、最終的には組織そのものを腐敗させるとドラッガーの著書には書かれています。部下の失望どころか、世界中の良識があり、誠実で、真摯な人々は絶望してしまうのですが、今回の閉会式では、原因が明らかにされたのです。もう地球環境に負担をかけすぎるオリンピックはなくてもいいのかもしれない。私たちは今何をすべきなのか。自分のやりたい事、大事なことを表現するために、誠実に真摯に努力し続けること。世界中に放映され明らかにされた腐敗の状態は、神が誠実に真摯に、対処してくれるでしょう。

 粛々と、自分のやるべきことを、ライオンズゲートのエネルギーを浴びながら、進めていきましょう。