インフルエンサー  Influencer

 雨は降り続くし、コロナの感染者数は恐ろしい数字を示し続け、お盆休みだというのに何もできず、ずっと家にこもっていると、さすがに精神が病んできます。義母がショートステイへ行ってほっとしてはいるのですが、珍しく気持ちの落ち込みが激しくなった私は、子供たちにラインして今どうしているか様子を聞いてみたら、息子はランニングや水泳、ヨガをして健康に気を付けていると返事が返ってきました。娘は先だって着付けを手掛けたSNSドラマがネットで公開されていて、最終回で彼女が振袖を着付けた女の子たちが落語の試合に出てくるシーンを私はハラハラして見ていたのですが、あとでライン電話して色々な裏話を聞きました。今年に入って着物関係の仕事で忙しくしていた娘ですが、渋谷の着物ショップで沢山の女の子たちに前撮りの振袖着せたり、市の文化講座で日本舞踊を習って舞台で踊ったり、いろいろ苦労して経験したことが画面の女の子たちの着物姿に表れていて、初めてのことでうまくいかず後悔するところもたくさんあるけれど、ドラマの主人公の女の子の悪戦苦闘の姿と、娘の試行錯誤の努力が被って、思い入れ深く見ている私は、着物というものは皆一律同じに着ているわけはないし、役や性格に沿った着付けということがこれからは必要だと思ったりしていました。

 それにしても、今回初めて、ネット世界の若い世代の活躍ぶりの凄まじさを初めて知ったのですが、ドラマに出てくる若い子たちは「総フォロワー数1400万人超えの人気インフルエンサー」だそうで、インフルエンサーとは、SNSなどを通じて情報発信し、それによって多くのフォロアーに影響を与えている人物を指すもので、流行、トレンドの発信源として多大な影響力を持っており、企業のマーケティング戦略においても重要視され、インフルエンサーの発信する情報を企業が活用して宣伝することをインフルエンサー・マーケティングと呼んでいるそうです。彼らの大半は、インスタグラムをはじめとするウェブ上のソーシャルメディア上で活動し、他にツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、ティックトック、それにアメブロ、その他のブログメディアなどがインフルエンサーの活動・情報発信の場として活用されていて、どのサービスも一般消費者が情報発信を行える場(すなわちソーシャルメディア)であるという点において共通しているのです。

 マーケティング戦略という観点からとらえた場合には、芸能人やスポーツ選手といった名声のある人物よりも、比較的小規模ながら魅力的な情報を地道に発信し続けてファンを増やしていき、インフルエンサーとして世に知られている人物の方が、より一般ユーザーに近い立ち位置であることで重視されることが多々あります。そして、できるだけユニークな独自の発想、観点で、親しみやすく、共感を得られるような、しかも斬新な、人々の心をグッとつかむようなことを発信する必要があり、こんな抽象的な課題をどう具体化すればいいのかというと、それは自分なりの方法を見つけるということだそうです。

 雑談通話コミュティで知り合った仲間たちがある競技を通じて切磋琢磨していくというこのSNSドラマは長引く緊急事態宣言により、自宅に籠もる時間が増え、リアルでの人の繋がりが希薄になった今、人との繋がりこそが人生をより豊かにし、人を成長させるものだと信じ、人生を変えていきたいというテーマを持つのです。このドラマを支援する会社の若き社長は、「生まれた瞬間に、生まれた場所で、近くの小学校に行くことが決まり、その学校では30人ずつに分けられてその中で人間関係を作っていく、そこで人格や、自分が友達とどういう風に付き合っていくのかを決めるわけですが、非常に狭い世界であるにも関わらず、友達とぶつかったり、気の合う仲間がいなかったり、いじめられたりする人たちもいる、これはもはや運のようなものです。これだけいろいろな人と出会える環境があっても、運によって選択肢を狭めてしまっている人達がいる、それを広いコミュニティを作り、人間の繋がりを広げることで解決したいと思ってこのサービスを始めました」と言っています。

 (でも売れっ子のインフルエンサーたちも、自分でする作業がとても多くて、寝る間もないくらい忙しいらしいと娘は言っていました)

 娘のおかげでこういうことが初めてわかってきたのですが、エアビーの着物体験の仕事を二年あまりしてきて、海外に行かずに沢山の外国人と接触するという貴重な経験をして、そしてコロナ禍の中でそれができなくなった時に、今度はどういう風に動いていけば良いのか考える大きな手助けになることがわかりました。旧態依然な発想ではもう先へ進めないのなら、Z世代の若い人の力を借りて、コロナ以後の社会の生き方を考えて見ましょう。そう、ライオンゲートは開かれているのです。