違和感というコンセプト

 今は老いも若きもYouTubeを使っていろいろ発信していて、私がよく見るのは「ルンルンの裏庭」というグレートピレニーズ犬の毎日とか、ストレッチの動画、着付けや帯結びの動画なのですが、最近は中高年の奥様方が自分の着物姿をアップしているのも多く見かけるようになりました。素敵な夏着物に夏帯、ヘアも自分で結い上げ、出かけられなければネットにあげて不特定多数の方々に見てもらう、そういう時代なのだなあと思いますが、夏着物で中高年でとなると、色合いや質感はみんな似通った単色系のものになり、帯も素敵なのですがインパクトのない感じがしています。 

 若い方が着付けレッスンに来た時、たまに私も着物を着てお待ちしていても、何の感想も言葉もなくスルーされることがあって、確かに年寄りだし綺麗でもないし、それでも着物や帯に関してのコメントも全くないのは何でだろうと思っていました。でも私も一番初めに着付けを習いに行った時、先生が着物着てらしてもなんとも感じなかったことを思い出し、外国人のゲスト達が浴衣や夏着物着ていると綺麗だと言われるのは、異国人が異国の衣装を着こなすというある違和感を伴っていたということが大きいのではないかという気がしました。今、私たちにとって重要なファクターは、”違和感”かもしれない。

 感染拡大が続き、ロックダウンも望まれる中、大勢の外国人が来日し、スポーツの祭典を繰り広げる違和感。不穏なアフガニスタン情勢、洪水、山火事、逼迫した医療体制…学校も新学期が延期になるところもある…違和感だらけの記事が並立して載っている新聞。もう私たちの感覚はマヒしきって、何をどう考えていいかわからなくなっています。

 

 これまで私は、うちにやって来た着物たちは必ず誰かに着てもらおうと努力してきましたが、どうしても無理だったのは喪服で、着物は紋を大きく張り付けてタイの男性が着流しで着たことがあり、外国人だからカッコよかったのですが、使えなかったのが黒い帯たちでした。刺繍やアップリケは難しいし、何かいい方法はないかと模索していた時、ポルトガルのゲストから頂いた花模様の黒い布を黒い帯に被せて簡単に止めて着て見たら素敵で、それから夫のイタリア製の派手なスカーフを使ったり、着物の端切れをパッチワークした布のマフラーを使ってみたり、いろいろ試しています。

 まず、ボディを私の身長に合わせて大きくし、ピンクのぼかしの夏着物を着せてみると「でかい」という違和感があり、そこへ喪服の黒い帯を締めて見る。そこへスカーフを被せたり、レースのショールかけたり、ブローチやレジンで作った帯留めをつけたり、意表をついてアニメのキャラクターの布をつけたりしてみると、「ええ、これ何?」という違和感と驚きがあり、喪服の帯使っていいのかというためらいの気持ちも加わって、結局これはなんだろうと目を止めるコンセプトが大事な気がして、簡単にスルーさせない気構えで視線を止め、着物姿を見てもらいたいのです。前テレビで、アメリカの漫画を帯に織り込んで締めているデザイナーを見たことがあるし、地下鉄の路線図の名古屋帯を締めている方を、エアビーのパーティーで見かけたことがありました。イギリスの国旗とか使ったら綺麗だろうけれど、でもトータルとして大事なのは、その意味をきちんと説明できることでしょう。

 今度私の写真を撮ってくれるヤンママは、音大の付属高校でクラリネットを吹いていたのですが、在学中に自分がそこにいることに違和感を覚え始め、「私のいるところはここではない」と方向転換して美容師の道に進み、写真も並行して撮っているとの経歴に、私は強くひきつけられているのですが、私という違和感の塊をどうとらえていくのか、面白い所です。家族五人がコロナ感染してしまい、軽症だったので自宅療養していた若いママが、手作りのイヤーカフを持ってきてくれて、ボディの着物姿を見ながらいくつかアイディアを出して帰って行きました。若い世代の作った作品を、私が着物用に使って写真を送ると、インスタにあげたいと言われたりして、今までとは違う方向が楽しいし、少しずつ役に立てそうな気がしています。

 本番の撮影は九月の初め頃になるので、それまで色々な発想とやり方で、考えていきます。知り合いのヘルパーさんが、ルパン三世の色鮮やかなタオルを首にかけていて、外国人に大人気のこのアニメの帯作ったら受けるだろうなと思っています。意表をついて、違和感を持つことを大事にしていきたいのです。