スリーアギトス【three agitos】 私は動く

 オリンピックが終わって、今度はパラリンピックが始まったのですが、子供にも感染は広まっているのに学校単位で観戦にいかせるとか、関係者40人でパーティーをしたとか、唖然とするニュースばかり見ているので、昨日行われた開会式も夫は全く関心がなく、私は後でネットでどんなものなのか見てみました。ところが、さあびっくり、オープニングはブルーの衣装着たはるな愛さんの満面の笑みからスタートし、テンポも映像も不評だったオリンピックとは違って素晴らしく、演出者の哲学にあっというまに惹きつけられてしまいました。なんでこんなに違うのかと思っていろいろ調べてみたら、パラリンピックは一つの背骨を作って式典を勧めることが出来、外野の注文が少なかったからなのだそうです。

 演出を担当したウオーリー木下氏は、役者の身体性に音楽と映像を融合させた演出を特徴とし、これまでも障害者舞台芸術オープンカレッジの総合演出などを手掛けてきた49歳の人物ですが、今回はWE HAVE WINGS (私たちには翼がある)というテーマのもと、出演者のそれぞれの体の違いや、得意な所を見つけて演出し、本番前には、全員にイヤモニで声をかけ「みんな違ってみんないい」というメッセージを送り、泣いてしまったと出演者たちは言うのです。それが感動を呼んだ開会式の一体感につながった要因でIPC(国際パラリンピック委員会)の広報責任者のクレイグ・スペンス氏は「三年間式典制作チームとやり取りをして、2,3か月おきにミーティングをして詳細を詰め、チームの変更もあり3か月前に契約調印したが、我々の指摘にも対応してくれて、彼らは素晴らしい仕事をしてくれ、自分も涙、涙で恥ずかしいくらいだったし、多くの日本人の心をとらえたと思う」とコメントしています。

 小学校6年生の時、ニューヨークのアポロシアターでウィークリーチャンピオンになった実力の持ち主の佐藤ひらりさんは、全盲だけれど愛くるしいシンガーソングライターの音大二年生で、国歌斉唱で清々しい歌声を聞かせてくれたのですが、前に『expect』という歌を作って歌った時のメッセージは、「頑張ってる人へ届けたい歌。勝つべき相手は、きっと自分自身」だというのです。Z世代の若者のキーワード、この女の子も自分を見つめ続けながら前へ進んでいるのです。

 滝川クリステルさんの従兄の俳優滝沢英治さんは、撮影中の事故で脊髄損傷の大怪我を負い、首から下は動かなくなってしまったのですが、今回自分でオーディションを受けて、クルー役に抜擢されました。「僕たち障害者は確かに失われたものは途轍もなく大きい。本人にしかその重みはわからないと思う。それでもその中で、何かほんの少しの小さなことでも、できなかったことが出来た時の喜びや幸せ、自分の生きる価値、自分が自分である証を示したい。そういう気持ちがあります。今日僅かな一歩進めたら、明日は二歩、その次は三歩、そして明日はと…もちろん立ち止まってもいいし、つまずいても、引き返しても、その歩みが次へ繋がる励みになってるはずです」これだけの覚悟を持った人たちが集まってこのパフォーマンスを作っていた、これだけの考えを持つ人が、オリンピック組織の上層部にいたのなら、オリンピックの開会式も素晴らしいものになっていたのでしょう。

 「片翼の小さな飛行機」という物語の主役の和合由依さんは演技経験もない13歳の女の子なのだけれど、片翼だけの小さな飛行機に乗って、おびえ迷いながらも大空に飛び立っていくというストーリーを見事に演じきり、終わった後号泣していたといいます。小さい子供でも大人でも、自分の運命や試練を受け止め、それから自分の使命を探して動き、羽ばたこうとしている姿を胸を熱くして見ながら、このコロナ禍、世界中の人達が感染症によって大切な翼を失って、みんなが「片翼だけの小さな飛行機」になってしまったけれどそれでも諦めずに残った翼を広げれば大空に飛び出せると、この女の子に励まされているのです。

 新型コロナの勢いは、とどまるところを知らず、行きたい場所にも行けず、会いたい人にも会えない。不自由なだけでなく、もっと深い悲しみを抱えた人もいる。それでも勇気を出して前を向き、翼を広げれば飛べる。行きたいところに行くことができる。どこにでも行ける。そのメッセージは、ストレートに届いた、だから多くの人が感動しています。ある全盲のパラリンピアンは「コロナで不自由? 僕なんか、生まれてからずっと不自由ですよ」と笑っています。こんな状況だからこそ、みんなの本当の言葉が深く胸にしみとおります。

 ふと、バベルの塔という言葉が頭に浮かびました。大洪水の後、同じ言葉を話していたノアの子孫たちは、民族の分散を免れることを願って、神に対抗し、天に達するような高い塔を建設しようとしたけれど、神はこれを見て同一言語を有する民の強力な結束と能力を危惧し、彼らの言葉を混乱させ、民は建設を断念して各地に散ったのでした。彼らが求めたのは、神の教えに従うことではなく、一か所に定住して権力を結集させ、自分達の名声を高めることで、バベルの塔の建設は、彼らがその心の傲慢さにより、神を神と認めず、自分達を神のような立場に高めようとしたことを象徴するものでした。自分の置かれた状況が断崖絶壁なことにまだ気が付かない人間がたくさんいて、それが世界中に知れ渡っていきます。文明の背後に潜む人間の自己過信ぶりや高ぶり、バベルの塔をもって威圧する政治権力が、結局は人々を一致させるどころか分裂させていくというこの物語は、民族と言語の多様性を説明すると同時に、神と等しくなろうとする人間の罪を描いているのです。

 大事にすべきものを、それを心底わかっている人たちと育てていく、コロナ禍の中で、これから生きていく上の指針は、とてもシンプルなものです。パラリンピックのシンボル、スリーアギトスのアギトとは、ラテン語で「私は動く」を意味し、赤、青、緑の三色は世界の国旗の中で最も多く使われている色で、この色の三日月形を組み合わせたスリーアギトスは、困難なことがあっても諦めずに限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しているそうです。今までは、どちらかというとオリンピックの影に隠れて、添え物の様だったパラリンピックが今回は単体で光りを放っているのはどうしてなのかと考えていたら、ネットにこんな感想がありました「シンプルな中に暖かみがあり良かったです!!」そう、温かい気持ちがみんなの中に在ったのです。

 人を貶めたり、苦しめたり、自分の利益ばかり考えて、天に唾しては、人としていけない。己を戒め、背筋を伸ばして、大事にするものが何だかわかっている人達のことを、大切に見ていきましょう。