パラリンピックのDJ 徳永啓太さん

 パラリンピックの開会式の入場行進の時、会場でDJをやっていた徳永啓太さんの音楽が評判を呼んでいて、ツイッターを見ていると「選曲が浮遊感あってセンスの塊!カッコいい」「曲の繋ぎがおしゃれ!」とか若い人たちに絶賛されています。勿論「小学校の入場行進の曲みたいだ、良くない」というのもあって、実は私もこの音楽はあまりピンと来なかったのですが、クラブやジャズヒップホップが好きな息子たちの世代は、曲の繋ぎのセンスとかテクノっぽくておしゃれな所が、自分達の生き方とフィットして好ましいようです。でも、音楽一つとっても、年寄りの好みが古くて老害で、若者のやることがすべて正しいというのではないのですが、コロナ禍の異常事態の中で世界に向かって発信されているオリンピック、パラリンピックを作った人たちを比べてみると、大きな人間愛を持っているかどうかが画面にはっきり写し出されてきていて、私たちは今時代が変わる瞬間に立ち会っている気が余計します。

 徳永啓太さんは先天性脳性麻痺のため車椅子を使っている36歳の若者ですが、大学進学後、地元の松山のセレクトショップで原宿のストリートスナップを見つけ、そこに載っていた自由なファッションに衝撃を受けて、東京のストリートファッションに興味を持ちました。その後就職を機に上京し、ファッションデザインを学んで、多くのファッション関連のイベントにも参加、沢山のコレクションショーや展示会へ行って、Webサイトやフリーペーパーでその様子をレポートし、ジャーナリストとして独自のメディアを立ち上げ、現在はモデル、DJとしても幅広く活動されているのです。ファッションジャーナリストとして務めていたある日、身障者をモデルとしたショーを見に行って、福祉の枠組みの中のファッションというものに違和感を感じ、もっと自由に楽しめないものかと模索し始めました。

 日本は人間の多様性を受け入れる度量があるのか。国際化を長年掲げつつ、変わらない環境で、同じ価値観を持った小さな島国だから、違う国の課価値観や考え方を表面では理解できても感覚として受け入れにくいのか。多様性を受け入れるために何が必要で、何を認めないといけないか、自分の価値観を含めたインタビューをして、自分の価値観と誰かの価値観を掛け合わせて新しい価値観を提案する。アギトスカラーのシャツを着て、入場行進の音楽を繋いでいく彼を抜擢した演出家も凄いし、DJとして音楽を選び、そのセンスで人を心地よくさせてしまう彼は、ジャーナリストとしても人と人をつなぐセンスを持っていることが次々わかっていきます。

 ヒップホップにとらわれず様々なジャンルの音楽に自身のリリックを合わせる27歳のラッパーのGOMESS(ゴメス)氏へのインタビュー記事を読んで、「デビュー曲”人間失格”を始め、彼の曲には自身の体験がのせられている。新作”てる”は生きづらさと向き合うための哲学を、聞いてくれるファンや共感する方に伝えるものではないか。彼の生い立ちから新作に込めるメッセージを、曲にのせて、リリックにのせて、そしてどういう気持ちに相手をのせるか。」「どうしようもないときってあるじゃないですか、辛いけど、解決法がわからないとき。そういうとき、僕は未来に期待していたんです。“もしかしたら明日すべてがよくなるかもしれない”と。逆も然りだけど、それは本当に起こりうると思うし、よくなることを信じていられるような世界にしないといけないという想いがあります。世の中には苦しんでいる人がたくさんいて、僕の音楽を聴いてくれている人もきっと何か苦しみを抱えている。せっかくライブに来てくれて同じ今に会えるんだったら、フリースタイルでそのときにしかない言葉と音楽を届けるから、明日に希望を持ってもらいたいと願っています」

 アーティストGOMESS「孤独」の哲学は面白い。彼の中でこの世界は「1」と「0」であるという考えで、「1」には確固たる存在があるけれど、「1」が2つあってもそれは「1」が2つあるだけ、つまり「1」は孤独である。しかし「0」には孤独がない。なぜかというと、「0」は余白であって実態に干渉できない、存在を定義できないという考えなのです。人はそれぞれ異なる存在であるという意味ではみんなが孤独だが、彼は「孤独=寂しい」という意味で捉えていないで、孤独は単なる事実であって恐れるものではない。むしろなるべくいいものに捉えたいし、皆にとって孤独を感じる時間が素敵なことになればいいなと思っている。孤独を突き付けて「好きに感じろ」という、周りは気にせず自分の感じたことが正解だと言われているように感じる。「同じである」というのは”行動を揃える」というけれど、行動を起こすまでに過程がある、行動の前には動かす神経があり、その前に気持ちや動機があって、そして動機に至るまでの経験がある。そうやって遡っていくと、行動とは最後の形なのにみんな行動だけ合わせたがるし、そこだけを見て判断されると、生きづらさを感じるのではないか。もしみんなと同じものを求めるのであれば、まずみんな孤独であるということをお揃いにすればいいのではないか。そもそも人は他人とすべてを共感し合えない訳だから、自分が孤独であることを認めて、そこの共通意識をみんなが持つことができれば、最終的な行動や服装思考が違っていても尊重し合えるということなのだ。誰がどういう目的で言葉を使っているかというところが大事で、自分が思う多様性と他人が思う多様性は違うわけで、それを主張する理由と気持ち、なぜそう思ったかという気持ちの裏まで見ることが必要。こういう言葉たちが、彼のラップに次々繰り出されるのです。                                      

 彼のこの哲学はどこから出てくるのかというと、10歳から高校に入るまでの5年間、引きこもっていたことが大きくて、外の世界との接点を失くして、自分と向き合う日々で、パニックを起こしたり記憶を失ったりする中で自我があやふやになっていって、他人と気持ちを交えることもできず、孤独の中にいたあの時間が大切だったと今になってようやく噛みしめているのです。嫌なことが起きた時、苦しい時、悲しい時、どうしようもない事をどう切り抜けたらいいのか。答えを導き出すのは、いつだって自分自身だということ。誰かの為ではなくて、自分のために、曲げたくない芯に基づいて自分をカスタマイズしていくような感じで、自分の好きな所を作って増やしていく。作った音楽も私生活も思考も、人生丸ごとカッコよくならなくてはならない。当事者として言葉を書こう、当事者としてアルバムを作ろう。表現者として各所で評価されジャンルを超えた数多くの表現者との交流や共演を多くこなし、GOMESSは新しいカルチャーとして確立し始めている。                                                GOMESSさんのライブを初めてネットで見たら、矢継ぎ早に自分の言葉を繰り出していくのに驚いたのですが、それは詩の朗読の様でもあり、会話型の魂のラップなのだそうです。本音をラップに乗せてさらけ出すアーティストで、「GOMESSすごい。GOMESSがかっこいいのもそうだけど、やっぱりHIPHOPという概念そのものがかっこいい。GOMESSがそれを完全に体現してるのがまさにかっこいい。」とツイートにありました。                                                        

                                             

 彼の生き方を教えてくれたのは、徳永啓太さんなのです。DJとしていろんな音楽を繋ぎ、世界を作り上げ、ジャーナリストとして今まで私たちが知らなかった分野の若者の存在を教えてくれる、新時代の水先案内人のような彼をパラリンピックで知ることができてよ   かった、そしてみんな途轍もなく、優しいのです。