異彩を、放て。

 徳永啓太さんのインタビュー篇。その2   「ヘラルボニー」

パラリンピックの徳永さんのDJ姿を見て、「ヘラルボニーを取材してくれた徳永啓太さんがパラリンピック開会式のDJをしている!最強にかっちょいい人です!」とツイートした双子起業家の記事も、面白くインパクトのあるものでした。知的障害者のブランドヘラルボニーは日本全国の福祉施設に所属するアーティストとともに、新たな文化の創造を目指す岩手発のアートライフブランドです。彼らには4歳年上の自閉症のお兄さんがいるのですが、小さい頃から偏見にさらされるところを目の当たりにしてきたし、中学校では自閉症スペクトラムを生徒からネタにされることもあって、障害が欠落として扱われる、そんな社会を変えたいとずっと思って来たのです。

 彼らは24歳の夏に、地元・岩手県のボーダレス・アートを掲げている「るんびにい美術館」に足を運んだことがキッカケで、「アール・ブリュエット(アウトサイダー・アート)の存在を知りました。正式な芸術教育を受けていない人による、うちから湧き上がる作品を指す言葉だそうですが、その時障害者芸術を「福祉」の枠から出してビジネスに乗せたらとアイディアが浮かびました。作家さんからデータを預かり、それを企業に渡して、例えばそれがパッケージなどの商品デザインに起用されるなら、その売り上げから既定のパーセンテージを作家さんに還元する。そして制作以外の仕事はすべて彼らが担うビジネスモデルなら、作家の負担にならない。慈善事業感が出てしまう、チャリティー=施しのような空気感とか、安くて当たり前のような昭和の福祉ではなく、ものづくりに舵を切り、世界観を作りこんだ店舗を持ち、誰もが主人公になれる世界、障害のある人と健常者の境界を失くす”運動体”として捉えられたいし、これからの消費は「ミニマル」「デジタル」「ローカル」「オネスト」になるということでチャレンジしてみると、思想をまとった店舗があることで、彼らのやりたいことが、真っ直ぐに伝わるようになりました。まず、最高品質で最高のアートを届けることを目指し、障害がある人を「異彩」と定義して、社会や企業に対していろんな文脈を仕掛けていくことで、福祉業界の外での共感を確立していけるのではないかと考え、そこでうまくいけば、福祉業界にも逆輸入されるだろうと仮説を立てました。

 障害というそのひとくくりの言葉の中にも、無数の個性があり、豊かな感性や繊細な手先、大胆な発想、研ぎ澄まされた集中力があるのです。”普通じゃない”ということ、それは同時に可能性だと思うし、彼らはこの世界を隔てる先入観や常識という名のボーダーを超え、様々な「異彩」を様々な形で社会に送り届け、福祉を起点に、新たな文化を創り出していこうとしました。「世界をもっと寛容で楽しく」をモットーに、施設を訪ね、直接作家と話し、障害者が描く独創的な作品を、人間性も含めて、世の中に伝えていくことが大切だし、これからは、平均的なものでなく、突き抜けているものがもっともっと評価される時代になるというのです。

 価値観とは、ある程度極端な刺激を受けて、大きな振り幅から、振り切って戻って、振り切って戻ってという繰り返しで、だんだん一定の場所に定まっていくものなのかなと彼らは言います。そこから、見ている人たちが、自分達の中で一番しっくりくる「正解」を見つけて行ったらいいなと思うし、やっている本人たちは手段でしかないから、それを見ている人たちが結果としてどういうことを感じてくれたかということが大事で、いい形だろうが悪い形だろうが、まずは議論を巻き起こし、誰かの心に引っかかることが大切ではないか。

 結局社会を動かす時って、批判されるくらい振り切れないと話題にもならないし、多くの人に伝わらないというのですが、彼らの活動の根本には自閉症の兄の存在があって、兄を含めた知的な障害を持った人たちが、心地よく過ごせるような居場所を作りたいというその一心なのです。個人的感情だけれど、そういう気持ちとは絶対に揺るがない分説得力があるし、その強い気持ちが人から人へとどんどん広がっていってほしいという彼らは、なんて優しい人たちなのか、またそう思っています。