夢は見つかるもの

 前に、娘に勧められて庵野浩明さんのドキュメンタリー番組を録画して見ていた時、とても印象的な場面がありました。故郷の学校での小さな講演会の質問コーナーで、ある男の子が「夢って持った方がいいんですか?」と庵野さんに尋ね、即答で「ないよりあった方がいいです」という答えに、「ありがとうございました」といったものの、彼と友達の二人は、終わって庵野さんが帰る時に階段の下で待っていました。庵野さんにサインを書いてもらいながら「夢なんか持っている方がおかしいと中高校の時言われ、結構悩んでいたんです」とさりげなく、的確に悩みを打ち明ける二人のお兄ちゃんは、短く刈った髪を薄いピンクとグリーンに染めて、バンダナを被り、マスクをしている「可愛いヤンキー」ぽいタイプでした。

 庵野さんは、イラストとサインを書きながら「夢は持つもんではなくて、見つかるもので、あっという時にパッと見つかるよ」と答え、二人は礼を言って、嬉しそうに階段を駆け上がって行きました。周りの生徒たちとは明らかに異質なんだけれど、一番純粋でわかりやすいこの男の子たちは、学校生活では生きづらいだろうし、学校の規範にない夢を持てば揶揄され、自分がなんで生きているのかわからなくなってしまいそうな時に、庵野さんのような”変人”が堂々と自分のやりたいことをやり、それが評価され支持されていることを見るのは、ほんとうに支えになり、嬉しいでしょう。

 夢はあっという間にパッと見つかる、私は今この言葉を実感しています。着物着付けの仕事を趣味程度にはじめ、エアビーに関わってからは沢山の外国人たちに着物を着てもらい日本文化を味わってもらうことができたけれど、これは巡り合わせでできたことで、夢ではありませんでした。コロナ禍で海外との交流が途絶え、日本でも出歩くことは憚られるようになった時期に、反対され懸念されながら、オリンピックとパラリンピックが開かれました。アスリートたちの必死な戦いぶりは両方同じでしたが、開会式と閉会式を見ていて、オリンピックの演出の精神的稚拙さに失望した後、期待しないで見たパラリンピックの演出や出演者の気持ちの温かさに心打たれてしまいました。

 パラリンピックの演出者や、出演するパフォーマーは障害のある方、健常者、プロ、アマと多様で、不協和音そのものなのですが、情熱溢れ、何事も諦めない精神で一つの物を作っていく姿には感動しました。みんな違うのですが調和がとれている、まさに調和した不協和音、違いが輝く世界になり、どんな状況に置かれようとも、今この瞬間を最大限に楽しみ生きるものとしてキラキラ輝いている彼らの姿を、あっけにとられて私は見ていました。コロナ禍の先行きの見えない不安の中にいる私たちは、不自由や不安や絶望にさいなまれて、何もできないと動けないでいるときに、それを乗り越え、パラリンピックの式場にいる方々の生きる歓びを見ることで、自分自身の中に在る執着や恐れからできるだけ離れ、進んで行けばいいのだと気が付いたのです。

 ネット社会はありがたいもので、ツイッターなどで出演しているパフォーマーのことも調べることが出来、そのつながりで知った障害者アートのデザインを使って色々な商品を作っているヘラルボニーという会社を知りました。そのデザインハンカチを帯に使うことで着物のハーモニーが変わり、今まで見たことがないような調和した不協和音になることに気が付いてからは、今まで使えなかった喪服の黒い帯に被せて色々な着物に合わせて見たりしていくことで、日の目を浴びることのなかったことが使える歓びを感じています。