コムデギャルソン

 村上春樹の小説”1Q84"を読んでいたら、主人公の青豆さんと友達の警察官のあゆみさんが有名レストランへ食事に行く場面で、二人の服装が細かく書かれていて、あゆみさんはコムデギャルソンのジャケットを着ているとあるのですが、それがどんなものなのか気になっていました。今、日経新聞の”私の履歴書”というコーナーに、デザイナーの山本耀司さんの連載記事がずっと載っていて、彼がワイズというブランドを立ち上げて、デパートなどに出店し始めたころ、同じようなジャンルとして隣同士になって知り合ったのが、コムデギャルソンの川久保玲さんだったのです。無知な私はてっきり男性だと思って調べたら、なんと女性で今は御年78歳なのですが、1969年の創立以来50年近くもファッションの最前線にあり続け、世界中に200以上の直営店を持っていて、世代を超えたファンを持っているのだそうです。

 どんなファッションなのかしらとサイトを見て、これまたびっくりしたのですが、アヴァンギャルドな感性を核とした、破壊的で示唆に富んだ奇妙奇天烈なヘアやコスチューム、そして体に沢山こぶが付いて居たり、恐竜のような縫いぐるみの頭を被っていたりしていて、度肝を抜かれました。1981年、パリで初のショーを発表し、突如としてファッションシーンに出現した川久保さんは、だらりとしたダークなシルエットやブラック・ポリエステルをはじめとする庶民的な生地を多用しながら、今までのファッションの「魅力」の概念を過激なまでに否定し、80年代にランウェイを席巻していたビッグショルダーやディスコ調の派手さを嫌うアーティストや異端児らの間で、たちまち注目を集めたのです。

 その後も川久保さんは自らの表現の幅を広げ続け、妥協を許すことなく体当たりで身体と洋服との関係性を探求し、当初から変わらない度肝を抜くような独創性を持ち続けています。ほつれた裾やアシンメトリー、黒ずくめのパレット、過度に誇張した非構築的なシルエットなどが受け入れられているのも、川久保さんが猛烈な信念を持って革新的表現を追求してきたことに負うところが大きいし、彼女のヴィジョンの純粋さに打たれる人が多いのだそうです。

 チュチュとレザージャケットを組み合わせた2005年春夏の「バイク・バレリーナ」ショーをはじめとするコレクションには、まだマッチョなかわいらしさがあるとしても、他のデザインは、かなり挑発的なもので、物議を醸した1997年の「ボディミーツドレス・ドレスミーツボディ」(俗称「凹凸」コレクション)では、ストレッチナイロン地の服にアシンメトリーな詰め物を施してフォルムを歪め、膨張したような効果を出したため、多くのファッション評論家たちから「腫瘍」に例えられたのです。

 あるコレクションではコンセプトが「シルエットの未来」と「不織布の概念を表現するひとつの方法」であり、また「商業用コレクションの大半にも不織布が使用されている」と語り、アンファブリックの服を「商業用コレクション」と言えるのはコム デ ギャルソンくらいだしゴワゴワとチューブ状に膨張するスカート、一見マイラー(素材)のようでありながら、実はアルミ箔とポリエステルフィルムを使用したシルバーの光沢素材でコーティングしたジャケット。いずれも、きわめてエキセントリックでありながらも、単なる布張りの繭ではない。キャットウォークから飛び出して、街中でも着られるピースなのです。

 川久保さんは1970年代から常識を覆すイデオロギーをブランドに注ぎ込み、オーバーサイズなシルエットやぶつかり合うプリント、コンセプチュアルで建築的な美学を武器に挑戦を続けてきました。彼女がいなければ、今頃ファッションの世界はもっとつまらないものになっていたというし、彼女は、服とそのクリエイションの見方は一つではないことを示し、人々が期待する服ではなく、心からそれが正しいと思う服を妥協することなく、新しい独自の方法で追求してきました。だから、ファンは「私が、自分らしく輝く術を見出せたのは、川久保さんの服が従来のファッション観や美の概念を抜本的に変革してくれたおかげ」というのです。

「玲の作品は、詩そのもの」「ホイットマンの詩を読むようなもので──まず自ら参加し、そして何かを共有する。しかし、何も語られることはない。言葉で語れるようなことは何も」という外国人のスタッフがいる一方で、川久保さんは「私の仕事があまりにもハードで、苦悩に満ち、生き地獄のようで、これまで40年間にわたり毎日夜明けから真夜中まで働きづめで疲れ切っている」といいます。──しかし、その並外れた想像力や驚異の大胆さ、独創性や驚異的な創造性、そしてアーティストとしてのクレイジーなヴィジョンは、時として見る者を真に圧倒し、多くの人々にインスピレーションを与えています。

 「自分の人生について深く考える人は、本当の服を着なければならないんです」「世の中の変化、世界の変化。変化ばかりですが、もうあまりそれらに振り回されることなく、自分のやり方で、コツコツとやるしかないというのは最近特に思うことです。コム デ ギャルソンという形のサイズは、基本的には自分の中のことなのです。ただ、それがひとつの強さになって作るものに反映されたり、コム デ ギャルソンのイメージになるのであれば、それもひとつの手だと思います。」

 「要するに、誰もやっていないやり方をするしかないのです。同じことをやっていても意味はないです。そういう意味では、私ほど一人でやる人はいないかもしれません。服は、感じて買っていただきたいという思うし、いわゆる『普通』でありながら、じわじわと何かを感じるというものを作りたかったのです。大きなパターンのデザインとか、密集させることによる表現とか、そういうことではなく、もっとずっしりと『普通だけど何かがある』ということをやりたかった。しかし、それはもっと難しいことでした。驚くようなシルエットやパターンを作るほうがずっと楽です。」

 「『見るからに新しいこと』のほうが表現しやすい。ですからつい、そちらに流れがちです。パターンもです。素材も、なんでもない無地の生地で、何かハッとさせるものを作れれば一番いいのです。もっとシンプルで、そして強いものを作る きれいでもない、なんでもない生地で、感じさせるものを作れたら......というのが今の目的です。でも、自分がその方法に飽きてしまい、その方法論に『乗れない』『感じない』と、そう思うときが来たら、また違う方法で『感じる』ものを探します。その繰り返しです。」

  「コレクションの話でいえば、すべては自分の中のことになるからです。系統立てて話をできることでもありませんし、何を悩んでいるということも言葉では伝えられませんので、結局話す相手もいなくなります。そこまでわかる人は絶対にいないと思いますから。そういう意味では孤独です」その激しさ、その孤独──

 彼女は何を求めているのでしょうか。彫刻家の吉野美奈子さん、マエストロ チョン・ミョンフン氏、そして川久保さんの生き方、考え方を辿っていっていくと、何かを探している感覚、それも自分の奥底を何度でも掘り返して、何かを取り出し、それを作品の核に落とし込んでいる気がするのです。彼女が自分の奥底の何かと呼応する沢山のファッションを作り出すためには、誰もやっていなかったやり方をするしかない、同じことをやっていても意味がない。エヴァンゲリオンの庵野さんも同じことを言って、ずっと悩んでいました。結局、川久保さんが何かを作り出そうとするその技のレベルや、力や、それが何を救うかということは、本人しかわからず、今回は力が足りなかった、とつぶやきながら、また孤独に考えていくのでしょう。