出来ること 一つずつ

 レジンの帯留めを作ってくれたゆうさんが、急に寒くなって雨の降っている日曜日の午後、お母さんの車で来て、作業場で作ったという美味しいパウンドケーキと、今私が好きなキンモクセイの帯留めなどたくさんおみやげを持ってきてくれました。

 着物の衣替えをしている時、デニム着物や絽の黒羽織など、ゆうさんに着て欲しいものが出てきて、七五三以来着物を着ていない彼女に色々着てもらおうと、私は楽しみにしていました。

 外国人のゲストが来るときのような気分で二人を迎えたのですが、黒羽織はそのまま洋服の上に羽織っただけでカッコよく、ダメージの付いたデニム着物は思いっきり自分らしく着て見るため、ベルト使ったりキャップかぶったり、妹さんと工夫してトライしてみるとのこと、期限なしでお貸しして、いよいよメインの振袖の着付けに入りました。外国人のように、ジーンズやシャツ脱がないで着せたので、いろいろ不具合もありましたが、ゲストに大人気の黒の大振袖を着たゆうさんは素敵でした。本当にたくさんのゲストや日本人の方の披露宴のお色直しに使ったり、娘の写真撮影の時モデルさんが着たり、大活躍のこの着物は一度赤に染めてその上から黒をかけ、東京友禅の絵師さんが百花繚乱の絵柄を描いて下さったものです。百人位着ているけれど汚れもつかず、着たあとはホコリを払い風を通してしまうだけなのですが、その輝きと重厚感は変わりません。

 看護学校の卒業式で妹さんが袴を履いていたのが羨ましかったとゆうさんが言うので、うちの袴たちを見せて、今度は袴を履いて写真を撮りましょうと言ったら、来月還暦を迎えるというお母様も着物を着て、記念に写真撮影の時来てもらうことになりそうです。抹茶も飲んだことがないというので、そろそろティーセレモニーも復活させて、みんなでお茶も飲みたい、ゆうさんの純真な心は、外国人のゲストとの楽しい時間を私に思い出させてくれました。邪念がなく、真っ直ぐな彼女の存在は、着られたことのないうちにある着物たちを新しい発想で輝かせたい私の気持ちの転換になるし、彼女はとても大事なものを持っている気がするのです。コムデギャルソンの川久保玲さんが、もっと違うものを、もっと新しいものをと、いつも突き詰めてデザインを考えているようレベルは違いますが、着物たちと前へ進もうという気持ちが今一番大切なのでしょう。

 正直言って、今まで着物を着せた日本人の女の子はここまで喜んではくれず、行事が終わってうちに帰ってきても、疲れた様子で黙って脱いでいた無表情な顔を見ることが多かっただけに、これからどうやってうちにある着物たちを着てもらおうかと試行錯誤している私にとって、ゆうさんの登場はありがたいし、私にできる文化体験を一つずつ味わってほしい、彼女もレジンを使って物を作ることをしているから、互いに刺激されあいたいものです。あとでゆうさんのおみやげのパウンドケーキを食べていたら、中に練りこまれたベリーが味を主張してきて、今まで食べた市販のものとは違うインパクトを持ち、その時の感じが頭の中にずっと残っています。大事なのは着物を着る時にも、ものを作る時にも、自分の体や頭の中に、何かの強い感覚をつかむことかもしれない。着物があって、それを着る個性豊かな人がいて、その瞬間を自分のイメージでカメラに取り込める人がいる。自分が自分で在ることの感覚をつかみ、それを何かの形で表現すること。直接でも間接でもいい、そのために努力していけることの素晴らしさ。

 脳梗塞で入院された夫の友人は、二週間くらいで退院できるそうですが、言語障害が残るかもしれません。でもみんなで助け合いながら、できることをひとつずつ、こなしていけばいいのでしょう。

 今朝のサイトに出ていたスケートの羽生選手の「できることを 一つずつ」という言葉に、強く影響されています。少しずつ、少しずつ進んで行きましょう。