蔦を切る

 昨日は文化の日で良いお天気でしたが、今日も良く晴れて、義母はいそいそとデイサービスへ出かけました。夫が代理で義母の親戚の法事へ出かけ、帰りに義母に会いに施設へ入っている妹さんたちが来てくれましたが、何年振りかで会う妹さんの髪が白くなったのを認めるのが嫌のようで、お帰りになったあと、義母はすぐ皆のことを忘れてしまいました。義母の弟妹が今回うちに来て、私たちが義母と一緒にいることを本当に感謝されましたが、考えて見たら実の親子でもうまくいっていない人はたくさんいます。だんだん年を取っていくと、看取りや介護の時間が増え、実母も十年介護したし、一応介護福祉士だし、別に負担でもないのですが、今まで義母の私達に対する非難を散々聞いてきたであろう弟妹の方々も年を取って、自分の家の嫁ともうまくいかなず、疎遠状態になっていたりして、私たちがいろいろありながら何十年も義母と暮らしていることは、奇跡のようだと思っているのでしょう。

 義母の幻影や考え方におびえ、苦しんだ私たちは、今認知症になり言ったこともすぐ忘れ、悪口を言うことさえなくなった義母を介護していて、人間の苦しみとはいったいどこにあるのかと考えています。私たちを蔑み罵ることで得意になったり、勝ち誇ったりする親戚も義母がいなければ来なくなり、それでもまだ私がおびえたり落ち込むのであればそれは私の心の中に巣くうものの存在が原因なのです。立ち直るためには、本物の喜びや本物の誇り、深みというものの存在を理解する能力を持たなければならない、どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もないし、何の意味もないのです。

 今障子やふすまの張替えをして、家を整えようとしていますが、今日から隣の家との境の塀にはびこった蔦が、うちに入り込んで根を張っているのを、梯子を掛けて少しずつ切っています。「落ちないでね」と通りすがりのおばあさまに声を掛けられつつ、丹念にはがす作業は意外と楽しいのです。”蔦を切る”なんて、今読みふけっている村上春樹の短編の題名みたいで、つらつらいろんなこと考えながら作業をしています。人間もこうやって根を張って長いこと生きているのですが、とんでもない所にはびこったり、隣家を侵食したり、迷惑をかけているなら、そこはカットしなければなりません。

「あなたが本当に求める人生の価値とは何か?」「後悔のない人生にするために叶えておきたいものは?」そんなことを考えながら、小さい窓から身を乗り出して塀の上の蔦の太い根っこを小さいのこぎりで切っていたら、窓枠から滑り落ちて、手や足をすりむいてしまいました。

 フィギュアスケートの試合がこれからたくさん予定されていますが、怪我で出られない選手が増えて驚いています。今朝早くイタリアのトリノで行われているスケートの試合をパソコンで見ていました。観客もまばらですが、それぞれのお国の選手に温かい拍手を送っているマスク姿のイタリア人を見ながら、男子のスケートを楽しみましたが、しばらく見ないうちに韓国や中国の選手がとてもうまくなっているのに感心したり、イタリアの若いイケメンの選手が難しいジャンプ飛んで二位になり、拍手喝さい受けているのを見ていて、芸術表現とスポーツ技術が一緒のこのスポーツでも、最後に大事なのは自分の民族や心や感情を支えている色々な集合魂だなあと気が付いたのです。山あり谷ありの競技生活を送っている中国の若い選手が、自分の国の曲の魂を感じとって滑っている時、私もその念を受け取って豊かな気持ちになれたのでした。

 昨日夫が新庄剛志選手の監督就任会見を夢中になって見ていて、私は派手なスーツ着て何をやっているのだろうと思っていたら、本当は彼は努力家で頭が良くて芯の通った人間で、チャラい恰好してビッグマウスだけれど、野球そのものを愛し、どうやってそれを活気づけ再生するかと考えているのだと、夫は絶賛しこれからの野球を期待していました。

 今朝は義母がお泊りに行って静かなので、久しぶりに英会話タイムトライアルというラジオ番組を聞いていました。アメリカの独立や歴史に関する質問に、瞬時に英語で返事をしながら、相変わらずの自分の知識の無さにあきれて恥ずかしくなったのですが、アメリカの歴史上の人物で有名なのは?という問いに、リンカーンと答える私は愚かかしらと思いながら回答を聞くと、「リンカーン、ワシントン、ヘレンケラー・・」だったのでホッとしました。あとで起きてきた夫にこの質問をしたら、彼はケネディーだそうです。アメリカはどこから独立したか?は「UK」で、合っていた。独立記念館の紹介や国旗、自由の鐘などのおみやげの選択があったのですが、改めて思ったのは、この国に歴史のないこと、魂がないことで、前に着物体験に来たゲストが浴衣を脱ぎながら「私の祖先はネイティブ・インディアンなの」と静かに悲し気に話してくれたのですが、彼女達が受けている差別や苦しみは私には想像もできなかったので、何も言えませんでしたが、今思うと彼女の中に、アメリカの魂があったことに気が付きました。USAの歴史は200年、そこに沢山の国の人々が住んでいるけれど、アメリカそのものの魂は在るのでしょうか。

 いろいろなこと考えながら、私は今日も蔦を切ります。