ラーメン

 昨日グループホームの所長さんがいらして、入居の契約手続きをし、義母はこの家を出て行きました。夫も外に出て、車を見送り、50年間の生活を共にした義母に「行ってらっしゃい」といって、別れを告げていました。多分、これからもっと認知症は進むけれど、だから義母の気持ちは穏やかになり、追い立てられることなく、時間に追われることなく、何かを待ち続けることもなく、幸せな気持ちになれるのかもしれません。今朝、起きてカーテンを開けコーヒーを入れていると、朝日が昇り、光が満ちて温かく差し始めました。新しい朝です。ひとつの円が完結した気がします。Yesterday is  a history. Tomorrow is a mystery. Today id a gift.クマのプーさんの小説の中の言葉だそうです。みんなそれぞれ生きてきた歴史があり、それは個人個人の思い出です。それを否定することはできないし、自分の生き方も否定されるものではないのです。

 昨日来た長女は小さい頃から義母に疎まれて、それが今も心に残り、その反動で今は着物関係の仕事を楽しくポジティブにやっている、かたくなで可愛げのない娘ですが、今は着物を通していろいろな人と繋がり、彼女の生き方や感性を好む人も増えてきているようです。今している様々な仕事の経験が財産になり、着物を着たことがないけれど、着てみたい方々へのサポートやスタイリングをすることがよりできるようになっている、やはり人の役に立つということが何よりもうれしく楽しいのでしょう。また新しいコロナウィルスの変異種が出てきて、これからどうなるのか明日はミステリー、人間が他の人に分け与えることが出来るのは、自分の希望だけである。

 義母を施設に入れて、さあどうするか。弟嫁は母が施設に入った後、母の住処を茶室に改造してしまったことを私は怒ったけれど、私が今やっていることは同じようなことです。誰も何も言えない。ただ、介護関係の方々が書類を作りにここへ来た時、着物が沢山吊るされているのを見て、何をやっているのかと聞かれ、エアビーの体験サイトのことなどを説明すると、初めて聞くことだとびっくりされることが多くなってきました。介護、医療、アパレル、金融など既成の仕事以外にも、違う気持ちで出来る職種もある。介護はくいっぱぐれがないし、老人はたくさんいます。私たちも老人です。そこのひとくくりから逃れて、新しい時空に入るには、今関わっている医療や介護関係者の心に引っかかるような新しい感覚を、指し示していくような希望を形にすることではないかと思います。

 義母がいなくなった今だからこそ、人のためになることを毎日少しずつしていき、この家を着物たちを活用していかなければなりません。自分が良ければいい、自分が権力を持ち、大きい家に住み、美味しい御馳走を並べ、贅沢な衣服を買う資力があっても、最後には何も使えなくなってしまう有様を実体験として見ていると、人間は何が大事かというトルストイの言葉を思い出してしまうのです。「私は、全ての人は自分の事を考える心だけでなく、愛によって生きるのだということを知りました。愛によって生きているものは、神さまの中に生きているのです。つまり神さまは、その人の中にいらっしゃるのです。なぜなら、神さまは愛なのですから」

 心とは、変えようと思えば一秒で変えられる、一秒で明るくもなれるし、暗くもなれる。

 奥様を亡くされてから、体調が思わしくない知り合いの方がお見えになり、白内障の手術前で気重だとおっしゃっていましたが、お昼近くになったので、お好きなものをお聞きしたら、「ラーメン!」とのこと、久しぶりに出前を取りました。汁まで飲み干し、「美味かった」とお帰りになりましたが、食べるものでも気持ちは変わるものです。その方が喜んでくださったことが、今日の私の幸せです。