十二月の雨

 今日から12月、夜半から激しい雨が降っています。昨日までは義母の施設入居の為の手続きや荷物の搬送などで慌ただしく、あっというまに月日が過ぎていきました。介護3が認定され、審査のために施設へ初めて行った時空きが出たらと頼んでいた部屋が12月から空き、兄弟間の争いも片付いて、あっという間に義母の新しい暮らしが決まりました。義母の部屋を片付けていると、「老人ホームの選び方」など、パンフレットや本が結構あって、施設入居は望んでいたことなのですが、認知症の方々と馴染めるかどうか気になるし、荷物もなるべく若い時の記憶と繋がるようなものを入れて、本当に自分でいられた時期の気持ちにいられればいいなと思っています。

 この前見たサイトに、12月の雨は浄化の雨だとあって、夜中に雨音を聞きながらそのことを考えていました。12月に降る雨は1年分の邪気や汚れを払ってくれるもので、冷たくて凍えそうになるけれどその中には特別な波動が秘められていて、自分自身や土地の罪・科・穢れを払ってくれるお清めの雨で、その雨と共に自分の中の凝り固まった負の感情が流されて、全てが癒されていくのだから、感謝することだそうです。

 雨が強く降ると不安になるし、なんでこんなに降るのかと思うけれど、今朝の雨は浄化の雨だと知って、落ち着いた気持ちで布団の中で雨音をずっと聞いていました。介護をしている家族は、施設に入れたりすると今度は自分が体調を崩すと言いますが、私もこのところ下痢をしたり足の指の付け根が腫れて痛んだりいろいろアクシデントが起きて、身体が辛かったのですが、布団の中で足を動かしたら1日でハレが引いていることに気が付きました。

 書類を作るためいらっしゃる介護や医療関係の方々が、1階の着物部屋を見て驚いていろいろ質問してくるのでエアビーのことなど説明しています。実母も長いことグループホームにいたし、スタッフさんや老人医療関係の仕事についている方の閉塞感というのもわかるので、異次元の世界観というものがとても新鮮なのでしょう。いくら施設で高齢者に尽くしても、認知症がひどくなると、努力が実らないことにむなしさを覚えて離職する方もいました。私も介護福祉士の見習いで施設で実習した時、高齢者の世話よりスタッフ同士の人間関係や気持ちの荒みの持って行き場のないことが、厳しいなと思ったのです。新しい変異株が見つかり、また不安が募っていますが、今一番必要なのは、生活できる基盤があるかということと、コロナ禍の中でずっと暮らしが続く時に自分の中で人生に対する哲学というか、誠実な姿勢があるかということです。私はどうしようもない人間だし、子供にとっても良い親ではないとずっと思っていますが、自分の心根は直しようがなかった、でも今この事態の中で言えるのは、少しでも前を向いてみんなで幸せと思う感覚を大事にしていき、相手のことを思い、人にも物にも、着物にも、温かい誠実な気持ちを持ち続けていけばいいということです。

 林檎を送っていただけば、皆におすそ分けし、こちらも釣った魚や田舎の木になった柿、浅草のお肉屋さんのチャーシュー、美味しいお酒、コーヒー豆、そして温かいハグまで届けて戴ける幸せがあります。

 施設への振り込みの手続きに手間がかかり、午前中に何回も行ったり来たりしてちょっと疲れたのですが、だんだん日が差してきて暖かくなってきました。一応すべて完了して、ほっとしていますが、これからは心を空っぽにして、何も考えず、静かに降り注ぐ光の柱を感じられる状態でいたいと思います。 まだ着物の仕事をしているなら、届けに行くと久しぶりにあった方に言われたり、フィリピンの工場で働く若者のために浴衣があったら送ってほしいという話があったり、着物たちが海外に出ていくチャンスも出てきそうです。私が出来ることをすることで、誰かが、何かが、喜んでくれるということを忘れないでいようと思います。そして私が生きることに希望を持ち続けることが、何より大事なのでしょう。冷たい激しい雨に浄化され、温かい光に癒され懐かれています。