吉右衛門さんが亡くなって

 昨日私は久しぶりに銀座へ買い物に行き、東銀座の駅からエスカレーターで上って、歌舞伎座のまえでしばらく看板を見て佇んでいました。何十回と来た歌舞伎座ですが、今は幕見席を取るための行列もなく、着物姿のお客様の姿もなく、淋しい限りです。デパートへ行って、お歳暮を少し送ってから家へ帰りましたが、しばらくしたら、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんんが77歳で亡くなったというニュースが報じられ、ああやはり回復できなかったかとため息がでました。大好きな吉右衛門さん見たさに何回歌舞伎座に通ったことか、涙が涸れるほど泣いた俊寛の姿や、今まで見たいろんな演目が目に浮かびます。今年の三月に倒れて救急搬送されてからずっと意識が戻らず、そのまま逝かれてしまいました。去年の八月に能楽堂で一人で素のままで自作の「須磨の浦」を演じ、新しい境地で新たな歌舞伎を目指す姿勢に圧倒されたのですが、思えばあれは吉右衛門さんの遺言だったのでしょうか。

 コロナ禍で観客はマスクをして、ひいきの役者さんに声もかけられず、無言で拍手だけという事態も当分続くであろうときに、満身創痍の体で、演じ終えると楽屋に倒れこむほど全身全霊を込めることは、吉右衛門さんにはもう厳しいことでした。無観客の能楽堂で、素のままで自分の芸を差し出した吉右衛門さんは、能とは神様に捧げる芸能なんだということを知っていて、歌舞伎役者の自分が初めて能舞台に上がり、自分の思いのまま演じることで、自分のすべてを覚悟して神に捧げたのだということを、今改めて感じています。

 心で感じ、心で演じる、役の真情を観客に伝える演技は、真心を突き詰めた先に咲く花だった、だから吉右衛門さんが演じる心とそれを見ている私たちの心が一つになる瞬間を、何度も味わってきました。才能がない、声が悪い、身体が歌舞伎には大きすぎると、様々な劣等感にさいなまれながら、偉大な先代の後を継いで二代目になったものの、その道筋は苦しく苦渋に満ちたものだったそうです。幼時に養子に出された疎外感、養父の死で後ろ盾を失った心細さ、でもそうした経験を、役に宿る情を掘り下げる力とし、忍従を強いられる役で高峰を築いてきた、先代の芸を受け継ぎ、古典の品格を保ち、江戸のにおいや空気や心を真っ直ぐに伝える最後の世代だった吉右衛門さんを、歌舞伎を見ていなくても、テレビで鬼平犯科帳の長谷川平蔵として茶の間で私たちはずっと見続けることが出来たのです。

 一つの時代が終わりました。でも、どんなにネガティブな思いがあっても、それすら昇華して違うエネルギーのものに変えれば、それは他の人の心と一緒になり、支えになり続ける、そういうことを最後まで教えて下さった吉右衛門さんは、77歳、喜寿のめでたい年に、お空の星になりました。ああ、これからは空の星を見るときにも吉右衛門さんのことを思い出し、演じていた姿をいつまでも夜空に見ることができます。残して下さったものの大きさ、深遠さを考え続けて行きます。