義父の叱責

 義母がグループホームに入って一週間たちました。ちょうど義母の妹さんからのお香典返しで注文した棚付きのラックが届いたので、施設に連絡して、新たに出てきた紙おむつや、シーツ、防水シートも一緒に持って行ってもらいました。

 施設に運ぶものにはすべて名前を書くのですが、何百枚もある高価なセーターやヒョウ柄のインナー、ブランドの洋服のどれを持って行けばよいのか決めるのが本当に大変で、Sサイズだしカシミアやウールだし(洗濯できない!)、でもこれらを季節ごとに運んですべて着てもらうしかないのかしらと思うのです。

 施設では落ち着いて皆にもなじんで暮らしていると聞き、ほっとしていますが、認知症の方と毎日同じ話を繰り返して仲良くしているそうで、持ち込んだタンスや洋服は、実家の弟夫婦が手配してくれたと言っているとのこと、まあ幸せならこちらのことは記憶になくなってもいいのです。何十年も押し入れに入っていたブランドのシーツに名前を書きながら、やっと使われる出番が来たねと喜んでいるのですが、ほかにあった毛布や軽い布団は必要だという方に持って行ってもらって、すぐ使って温かいと言われほっとしていました。

 ところが、あまりに勝手にいろんなことをしている私にとうとう義父の懲らしめが入り、夕方買い物に行った時いつも使っているセブンカードがないことに気が付き、クレジットカードなのでどうしようと青ざめたのですが、すぐに義父が怒っている時が付きました。やりすぎた、考えなしだった、紛失届をカード会社に出してから、仏壇の前でずっと謝りました。ごめんなさい。

 でもそれから布団に入って寝たら、憑き物が落ちたように、すっきりした気持ちでいることに気が付きました。義父に怒られるのは久しぶりです。若い頃食事をしながら義父にガンガン怒られて、泣きながら謝って部屋に戻ろうとしたら、お尻をポンと叩かれて、妙な慰め方をされたことを思いだしました。

 義母は自分の記憶の中からこの家のことは消してしまっている、そしてそれが義母にとって幸せなのだということを、痛切に感じています。これから幸せに暮らす場所に落ち着けたことを有難く思い、出来るだけのサポートをそっとしていくとともに、私はこのうちをより良いものにしていかなければならないと考えていると、義父や、ご先祖様や神様の気配を背中に感じていることに気が付きました。

 娘もよく義父の夢を見るというのですが、いろいろあったけれど、私たちは義父のことをずっと思い続けているという事実は強いものです。隣の家が三階になったので、うちの二階は日が差さなくなり、今燦燦と日が当たるのは三階の私たちの住処だけになりました。うちも人さまに迷惑を掛けているのですが、毎朝日の出の光と共に、お茶を入れたり、コーヒーを立てていると、有難いことだとつくづく思います。夫が五時起きでゴルフへ行ってしまったけれど、この前感じた孤独感が今はなくなっている、クレジットカードを失くしてあたふたしてしまったあの時から、義父の心をずっと感じています。やるべきことをやりながら、新しく進んで行きましょう。怒られるうちが花なんだ、そんな声が聞こえてきます。