浄められた夜

 昨日は朝から雨が激しく降り、一日中寒くて、外へも出ずうちに籠っていました。その前の日に栃木の鹿沼へゴルフに行った夫はラッキーで、汗ばむほどだったとか、おみやげに買って来た卵は黄身が盛り上がっていてつまめるほどで、お昼は美味しく卵かけご飯をいただきました。そういえば、義母の入っているグループホームの名前はなんと「たまごかけごはん」というユニークなものなのですが、決して仲が良くなかったのに、なぜか私の頭の片隅にはいつも義母のことがあるのです。

 それにしても、この気候の激しい寒暖差は何なのかしらと思って、あるサイトを見ていたら、これはプチ”黙示録”なのだとありました。黙示とは「隠されていたものが明らかにされる」ことで、神、あるいは天使などそれに近いものが夢や幻などを通じて知られていない真実を知らせるものであり、特に予言された終末について明かすというものが多いのだそうです。コロナも新たな変異種が出てきて、予断を許さない状況だし、それにもかかわらず世界中では政治的闘争が絶えず、自然も環境も気候も、大きく変動しています。これだけ寒くて一日降り続く雨が黙示録だとしたら、明日晴れて暖かくなる前に、自分の罪状認否をして、心を立て直さなくてはなりません。

 自分を否定することこそが悪だということをしっかり確認し、自分の魂を自分自身がしっかりと見て、そこに在る個性を大事にすることを、娘はわかってきているようです。自分にとって楽しいと思える着物の仕事をしている彼女は、潜在的に眠っていたあらゆる能力が開花し、自分の資質がとことんクローズアップされる時代に切り替わっている今、自分らしさを置きざりにしないで進むことが、他の人々をも置きざりにせず、自分が何らかの指針となり、助けていける存在になれると感じている。昨日の自分より今日の自分は成長していて、明日の自分はもっと素敵になると思えるなんて、なんと有難いことでしょう。これまでにどれだけの挫折や疎外感、悲しみがあったことか。息子にしても、自分の事がわからず、苦しい思いもずいぶんしているようだし、親として切なく哀しい思いになっていたのですが、それは必要な成長の過程であって、それだったら年取った私も、もっともっと変わっていき続ける努力をしていけばいいのです。

 

「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」というアイルランド人と結婚したブレンディみかこさんという方が、息子君の等身大の姿を綴った本を、ホラン千秋さんが新聞で紹介していました。イングランド東南部にある都市ブライトンで暮らす、多様性の縮図そのものといっていい主人公の少年の家庭には、いつも議論の種があふれていて、人種、民族、価値観の違いや、経済的な格差を目の当たりにして過ごす少年の心が丁寧にすくい上げられているのですが、心に残るのは「自分がこうしたい」と考えるよりも、「どうしたら社会が良くなるか」に思いを巡らしていることだそうです。他者を常に尊重する姿勢に学ばされることは多い、多様性のある場所は揉めるし、分断も起こるが、それがある現場には補強し合って回っていく強さがあるというのです。自分にとっての当たり前が他者にとっての当たり前ではない。なぜそうなのかという想像力を働かせることが大事だというホランさんも、アイルランド人のお父様と日本人のお母様をお持ちでした。

 外国人ゲストに着物を着せて、柴又に行く電車に乗る時、座っている日本人の乗客の方々は、ほとんどその華やかでビックリするような彼女たちの姿を無視しようと、全く目を向けなかったり、目をつぶって寝たふりをしてしまっていました。初めはちょっと悲しかったけれど、だんだん慣れてきて、私たちは勝手に自分達の世界を作ってしまっていると、たまに「綺麗ですね」と声を掛けられた方が意外に思ったりしたのですが、他者に対する関心は、好奇心や物珍しさであったとしても、想像力が発展するものだし、これからの厳しい世界情勢を生き抜くためにも、色々なことに想像力を巡らせる訓練も必要です。

 駅のエレベーターで一緒になったおばあちゃまが、振袖を着た外国人の女の子に「べっぴんさんだねえ」と思わず声をかけて下さり、日本語がわからなくてもその子は嬉しそうな顔をしていたことを思い出します。振袖を着せ、抹茶を点てて飲んでから、二階の和室の仏壇や鎧兜、掛軸を見てもらう、仏壇の前に正座してお線香をあげ、鉦を叩いて手を合わせる、刀を持ってポーズを取り、弓を持って構える、さわりだけなのですが、うちにあるものでできることは何でもやってもらったし、着物にしてもこの着物のここに心惹かれてという所が明確である、日本の事を何にも知らないと言いつつ、自国や祖先の文化伝統を秘めている上で、日本を見ている外国人の精神構造の複雑さをあらためて思い出しています。

 

 雨がひどくて一歩も外へ出なかったけれど、宝塚市の方から着物や茶箱を入れた段ボール箱三つ送ったと連絡があったり、音楽仲間のお友達に着物を着せて楽器を持って写真を撮りたいとラインが来たり、動けないときほど外からいろいろなものが与えられると、感謝しています。雨が上がった今朝、毎朝見ているテレビの名曲アルバムで演奏されたのは、シェーンベルクの「浄められた夜」でした。様々な困難があっても、人と人の間に温かいつながりと想いがあれば、寄り添って誠実に暮らしていけるという字幕の文を読みながら、子供たちのことを考えていました。ネガティブなことでも、マイナスでも、掛ければプラスになる。そしてふと、その音楽のイメージにあった着物を着ていただくというコンセプトもあるのではないかと気が付き、今度この家で着物を着て奏でられる音色がどんなものになるのか、とても楽しみになりました。 シェーンベルク、浄められた夜、宝塚市から送られてくる着物たちの事、新しい出会い、それらがどう絡まり合い、広がり、結びついていくのか、想像力を働かせていきましょう。