七草がゆ

 昨日は七草で、七草がゆを作り、神棚と仏壇と荒神様にお供えしました。古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習が有り、これが七草の原点とされるそうで、百人一首の「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ」という光孝天皇の和歌をふと思い出しました。おせち料理で疲れた胃を休め、一年の無事を祈って食べる七草がゆですが、15年くらい前に義母が心房細動で半月入院した時、残された義父の朝食はおかゆで、毎朝私は一生懸命作りました。食べ物にうるさい義父の三食を考え、夜の晩酌まで付き合うのは大変でしたし、義父も膵臓を悪くしていて通院していたので、お茶の水まで一緒に行き、点滴して、帰りは上野で一杯飲んで帰ったりしたこともありました。でも無事退院してきた義母が、私の作ったおかゆの量が少なかったと義父が言っていたとわざわざ告げてきたときには、さすがに腹が立ちましたが、その言葉が忘れられず、今回の七草がゆも仏壇に供えるものだけは大盛りにしてあります。

 知り合いに家庭菜園で取れた大根や白菜を戴き、久しぶりに切り干し大根を作って干し、白菜も小さい容器に漬けてみました。嫁に来てからずっと義母と山東菜漬けを従業員のために作り、義父に塩が足りないと怒られて、やり直させられた事をトラウマのように思い出すのですが、それがあったから、今もちゃんと漬けられるのです。それにしても、季節に沿って生きることは大事で、年を取ってくると、その季節に合ったことをするのが、生き甲斐になっていくような気もします。寒くてなかなか起きられない朝、布団の中で今日は何をしようか考えて、ちょうど夜に読んでいた本が、小川糸さんの「食堂かたつむり」で、主人公のおばあちゃんが切り干し大根を手作りしているとあって、大根を千切りにしてお日さまに干そうと思っただけで、一日過ごす張りが生まれてきます。

 

 またコロナ感染が増えてきましたが、今回は少し前と違う気がしています。大量生産やクラウド産業などこれまで私たちが突き進んでいた働き方が、今コロナというクラウドな病気によって否定されたということを認識し、コロナウィルスが収まっても、今までと同じ世界ではなくなるということを私たちははっきり口にしていかなければならない、夢を見ているわけではないのです。もうこれからは、違う価値観で違う意識で生きていかないとならない、そのためにはこの沈黙の期間に考え準備しないことがたくさんあります。

 商売とか会社とか儲けというものの在り方は、コロナ問題が続いている今、新しい意味を持って行かなければならない。当たり前の様に持っていた価値観も、勇気をもって見直さなければならない時です。みんなと同じように普通の人生を送れなかった私の感覚、子供たちの生き方、紆余変遷生き抜いてきて、コロナ以後も自分の感性を大事にしつつ人のために、自然や命を大事にしながら生きてゆく人たちのことを知ると、自分の生き方をいつも自問自答しながら考え、その時その時を全力で生きていて、一人一人と相対し、一つ一つの命を全うさせるということを原点にして仕事をすることがキーポイントなのではないか。人のためになることをしたいということが、これからの人間の使命なのでしょう。

 「私たちが今突き付けられているのは、自分自身の中に在る真実はどこにあるにあるのかをはっきりさせることです。私たちはみな卵で、唯一無二でかけがえのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵であり、それが本質なのです。我々を本来守るはずのシステムは、時に生命を得て我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせる荷です。冷たく、効率的に、システマティックに。でもそれは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光をあてるためなのです。高くて硬い壁に立ち向かうためは、警鐘を鳴らすことです。システムが私たちの魂をそのクモの糸の中にからめとり、おとしめるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。人々の魂がかけがえのないものであることを示し続け、その中で生きるには啓示が欲しい。でも、それを指し示すものは、自分の中にしかない。体を鍛え、心を鍛え、途轍もない高い所ににぼれる体力と、途轍もない深い井戸の底に入り続けられる胆力を持つしかない。真実は自分自身の中に在ります」これは村上春樹が2年前にエルサレム賞を取った時のスピーチの中の言葉です。

 私たちは壁の中に、井戸の中に、ふさがりの中にいます。抜け出して、何とか這い上がる手段を見つけなければならない。私たちはタフでなければいけない。這い上がる取っ掛かりは、多分コロナウィルスの突起のようなものかもしれません。この世の中の生きとし生けるものの命を奪ったり、苦しめたり、おとしめたりしてはいけない、そんな当たり前のことを、私たちは自分で考え、自分でどうしたら良いか行動することを、神はコロナウィルスをもたらすことによって示しているような気がします。