ドライブ・マイ・カー

 朝起きて新聞を読んでいた夫が、突然村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」が読みたいと言い出し、何かと思ったら濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」がゴールデングローブ賞の非英語映画賞を受賞したという記事が出ていたそうで、カンヌ国際映画祭でも他のアメリカの映画批評家協会賞でも賞を取り続けているのです。「女のいない男たち」という短編集は私は好きでよく読むのですが、その中でもこの小説は一番印象が強いのです。でもこの映画は三時間近い長編で、他の短編も混ぜて脚本が書かれたそうで、どんな風な映画なのか俄然興味が湧くし、外国で受ける村上春樹の面目躍如といったところでしょう。

 朝ご飯食べてから、本を読みだした夫は、あっという間に読み終えて、一言「暗い」といって部屋へ入ってしまいました。それはそうでしょう。しかし今まで村上春樹が好きで、そのことについて話せたのはロシアの男の子と、インドネシアの男性で、その時はまだ私が読んでいなかった「トニー滝谷」と「ハナ・ベイ」という短編を教えてもらったのです。ハルキストはインターナショナルだなとつくづく思うのですが、たまたま本棚を整理していいたら奥の方から「走ることについて 語る時に僕の語ること」という書き下ろしの本が出てきました。きれいだから、読んでない!寒いので、布団にもぐって昨夜読んでいたら、なかなか面白く、初めて自分自身について真正面から語ったものなのだそうです。

 「日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の望む生き方ではない。いろんな人がいて、それで世界が成り立っている。他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保って行くことが出来る。一つの風景の中に他人と違った様相を見て取り、他人と違うことを感じ、他人と違う言葉を選ぶことができるからこそ、小説を書き続けることが出来る。そして決して少なくない数の人々が、それを手に取って読んでくれるという稀有な状況も生まれる。僕が僕であって、誰か別の人間でないということは、僕にとっての重要な資産なのだ」

「腹が立ったらその分自分にあたればいい。悔しい思いをしたらその分自分を磨けばいい。黙って飲み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑みこみ、(それをできるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という入れ物の中に、物語の一部として放出するように努めてきた。自分が興味を持つ領域の物事を、自分に合ったペースで、自分の好きな方法で追求して行くと、知識や技術が極めて効率よく身に着くということがわかった。僕の人生にとって最も重要な人間関係とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者との間に築かれるべきものだった。目には見えない観念的な関係」
 「店にはたくさんの客がやって来る。十人に一人がリピーターになってくれれば経営は成り立って行く。その一人に確実にとことん気にいってもらうためには、経営者は明確な姿勢と哲学のようなものを旗印として掲げ、それを辛抱強く維持していかなければならない。最も重要なことは、学校では学べない。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。集中力。持続力。机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生みだし、正しい言葉を一つ一つ選び取り、全ての流れをあるべき位置に保ち続ける」

 

 こういう意思のもとに、小説を書き続けている村上春樹の、いくつかの小説を読みこんだ濱口竜介監督が、脚本を書いて作り上げた「ドライブ・マイ・カー」は、世界中の人々に、静かなインパクトを与え続けています。夫は日比谷の映画館に行こうといって、チケットを予約しました。寒いけれど、久しぶりに銀座へ行ってきます。