ひとつの場所に安住して停滞しないことが花である

 半年前の日経新聞の文化時評に、こんな題の能に関するコラムが載っていました。切り取って机の上にずっと置いてあったのですが、なぜかピンと来なくてそのままにしてありました。いまだコロナ感染者は再び増加し続け、舞台芸術もまた鑑賞しづらくなってしまい、まして地味な能楽に関わる方々の苦境は大変なものでしょう。

 若い時から能楽堂へ行き、叔母が謡の発表会の為、仙台から東京に来るようになってからは、舞台の着物を着せるため楽屋まで出入りできるようになり、有名な能楽師の方々とお会いする機会も増え、ますます能を鑑賞する機会も増えたのですが、だからと言って能に対する理解が深まるわけでもなく、眠くなるとひたすら早く終わることを祈って座っていたものでした。

 しかしコロナ感染は収まる気配を見せず、ウィルスはロックダウンして謝絶してしまえばなくなるものではないことにやっと気づき始めて、当たり前だった日常が崩れ、実は自分が死と背中合わせに生きていたことを誰もが知った時、そもそも能は南北朝の混沌の中から立ち現れたものであり、生と死の境界にいる人達が生み出した芸だったということに気が付いたのです。激しい情念が潜む能の霊魂が、コロナウィルスの台頭するいま、揺さぶり起こされていて、その揺らぐ気配を嗅ぎ取り、能楽堂に足を運べないのなら、映像によって新しい表現を生みだそうとネット配信する能楽師さんも現れました。能には全く素人のある映像作家は、「能に現れる霊と現在を生きる我々をリンクさせたかった」と語っていて、感性を磨く現代のクリエーターにとって、能の世界は未踏のフロンティアでもあるのです。

 世阿弥が編み出した「夢幻能」は時間と空間の概念が常識を飛び越えていて、現在と過去が当たり前のように交じりあい、死者と生身の人間が普通に語り合うのです。能楽師の一家を描いた宮藤官九郎さんのドラマ「俺の家の話」では、父親である宗家が、亡くなった長男と会話し続けるのは、夢幻能の手法だったのです。「伝統芸能はどこかで結界を張っているところがある」NTT西日本と組んで、狂言のデジタル化に取り組む野村萬斎さんはこう語っているそうですが、高齢化した客層もコロナ禍では動けず、経済的にも厳しくなるであろう現状を打破するのは、皮肉にもコロナウィルスであり、結界を破る呪文を唱えられるのかもしれません。

 一つの場所に安住して停滞しないことが花である。この世阿弥の言葉に、着物業、着物道を伝統と揺るぎない技術の基礎と、新しい学びと、自分の感性で進んでいる娘を思います。朝の名曲アルバムというテレビ番組で、イザークの「インスブルックよさようなら」という曲を歌っていたカウンターテナーの青木洋也さんという名前に見覚えがあって検索したら、10年前に文京シビックホールで上演された、森鴎外生誕150年記念で鴎外訳の歌劇「オルフェウス」の主役を務めた方で、その時娘は現代風和装のキャストの着付けを手伝っていたのです。日舞で有名な衣装の総監督は、律儀に襟をクリップで止めてから、女学生役の若い歌手たちに短く着物を着せていた娘のやり方が歯がゆかったようで、名指しで何度も注意されたのだそうですが、その時は日舞をやっている方のざっくりした着こなしを知らず、何を言われているのかもわからなかった・・でも客席で見ていた私は、女学生は襟をきちんと詰めてきている方があっている、娘らしいなと思っていました。

 そんな娘も十年後の今は、市民講座で日舞を習って舞台で踊ることもあるのだから、皮肉なものです。歌舞伎、能、アニメ、宝塚、刀剣男子、インフルエンサー、落語、ダンス、娘のテリトリーは際限なく広く、それらが円となって着物を囲んでいる、もう自分の欲や利益云々の問題ではなく、新しい花、新しい芸、新しい着物への愛に満ちたこれからの人材を育てていく、そのために一番必要なのは、リベラルアーツ、束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法でしょう。

 一つの場所に安住して停滞しないことが花である。一つの場所にいる私は、次々各地から送られてくる古い着物たちの氏素性を探りながら、使ってもらえる若者のために考え抜いて、手を入れています。行き詰った時、前に進めない時、思わぬものが救いとなっていく不思議を感じています。勉強は無駄にはならない、どなたの言葉だったでしょうか。「これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らずと成す、これ知るなり」これが私の座右の銘です。