寄せ書き日の丸

 義母が施設に入ってから見つけた、義父の戦争中の寄せ書き日の丸を、ずっと床の間に飾ってありますが、ちょうど皇室の紋章の付いた塗りの住所録が出てきたので、それに寄せ書きされた方々のお名前を書いています。読み取れない名前もあって、夫に聞くけれどわからず、友人先輩近所の方々など、いろいろな名前が書かれているようです。ネットで見てみると、海外の戦地で亡くなった兵士さんたちの寄せ書き日の丸は人気があって、向こうで持ち去られてしまうこともあるそうですが、値段の付いているものまであります。でも、ネットに出ているものより、義父の日の丸はよりたくさんの名前が書かれているし、しわしわで斑に変色していて、はたして義父はどのように所持していたのかわからないのですが、海軍だったから、乗っていた船が沈没したことも数回あったらしいと夫が言うので、この変色は海水なのかもしれません。

 お一人ずつの名前を書いていて、ふと妙な気持ちになりました。皆さんもうとうに亡くなっている、でもこれを書いた時には、普通に生活し、押し寄せる戦火におびえながらも、出征兵士を日の丸を振って送り出していたのです。今までいろんなテレビドラマでそういうシーンを見てきたし、私の父の兄は二人戦死、母の兄は学徒出陣で若い命を散らしてしまったのですが、この義父の日の丸は、いつまでも生々しく生きていて、何かを語り掛けてくれるような気がしています。出征する義父に沢山の方々がひとりずつこれを手に取って寄せ書きして下さり、それを肌身離さず持った義父は南方の国々、サイパン、フィリピン、インドネシアなどいろいろな国々を回っていて、柔道が強かったので上層部の用心棒的な立ち位置にいて、割と厳しい事態は経験しなかったようなことを言っていた記憶がありますが、戦後しばらくして無事日本に帰りました。

 義父の魂は、今の世界情勢をどう見ているのでしょう。「何がいいか悪いかはわからない。」「判断することを間違えるな。」「船が沈没する時は、初めにネズミが逃げ出す。」「トップにいる人間がダメだったら、家はつぶれる。」グサッとくるような言葉ばかり残された私たちですが、義母が居なくなってから特に、義父の存在が感じられて仕方ないし、子供たちにも、しっかり何かが受け継がれている気がします。

 どうやったら人間はこれから生き延びて行けるのか。オリンピックを見ていて、自国の旗を振り、応援するのはいいけれど、自国が勝つために卑怯な非合法の手段を使ったり、正義をたわめたり、正当な努力を貶めたりする輩の存在がはっきりあらわにされていることを感じています。ワールドニュースを見ていると、ヨーロッパはいつ戦争が起きても不思議ではないような緊迫感に包まれ、避難する人や敵が来たら戦うために軍事訓練を始めている市民の姿をみます。寄せ書き日の丸の時代は、まだ続いている、決して終わることのない物語を、私たちはただ永遠に紡いでいるだけ、人間の原罪はずっとあるのでしょう。私たちは成熟しなくてはならない。そのための努力をしなくてはならない時だと告げられています。

 昨日北京オリンピックのフィギュアスケートのエキシビションを見ていて、アイスダンスのフランスのパパダキス・シゼロン組の演技に心打たれました。[Avec Le Temps]時が過ぎて、年を取り、辛いことや楽しいことがあったけれど今は一人・・というようなシャンソンなのですが、その歌に合わせ、技術を極めた二人がエレガントに切々と、その歌の心象風景を表現していく、もはや芸術とはこれだと思うようなスケーティングでした。このカップルもコロナに感染したリ、思うように二人で練習できなかったり、アクシデントが多かったのですが、男性のシゼロンがゲイを公表した時には、男女の愛を表現するアイスダンスをする資格がないとまで酷評されていた彼らは、そんなものを通り越した崇高な成熟さを心で、スケーティングであらわしているのです。

 どんな辛い目に会っても、いやかえってつらい目に会ったからこそ、自分の心の奥底まで下りて行って、考え感じ、作り上げるべきものを見つけたのでしょう。引き出しは多い方がいいという村上春樹の言葉を思い出しますが、感情や経験の抽斗の多さが成熟を増すのだとしたら、権力闘争しか考えない国々のトップたちは、永久に成熟できないのかもしれない。時とともにすべては過ぎ去っていく、というレオ・フェレの淡々とした歌を選んだこのカップルのセンスは何なのでしょう。これを滑れる彼らのスケート観、人間性に感銘を受けながら、私の抽斗もまた一つ増えました。表現とは心からの自分の気持ちや意志を携えなければできないものだということが、これほどはっきり示されたことはないでしょう。どんなにジャンプが飛べてテクニックや表現が素晴らしくても、それが自分の気持ちでなければ人の心を打つことはできないし、つまづいた時、転んだ時、どうやって起きるかを自分でできない。悪辣な大人たちは栄光は与えるけれど、転んだ時の身のこなし方や心のケアは教えることはできない、彼らの抽斗にはそれらは入っていないから。

 これからもし戦争が起きても、どうすればよいか私たちは知っています。ひたすら自分を磨き、成熟する努力をし続け、それをみんなにしめせばいい、どんな小さなことでも、自分ひとりでも、努力し、正義を感じ、美しいものを紡ぎ出すのです。戦争を経験してきた義父の日の丸は、ひとつの証拠なのです。明日は2022年2月22日、22時に奇蹟が起こると言います。待つのでなく、自分でそれを作りだしていけばいいのです。