この世の関節が外れたわい 2022年

 2017年からブログを書き始めて、5年になります。エアビーの宿泊を始めた知人から紹介された、イスラエル人のギルの同僚のドイツ人のラウラの両親や、ギルのお母様とその友達に着物を着せる体験をしたころから、知り合いの若いお嬢さんにホームページを作ってもらい、ブログをはじめて、これで690回目になります。

 スペイン語を教えてもらっていたパナマ人のミラグロスさんが、ご主人と経営していたスペイン語圏の旅行会社のお客様の着付けをしたり、それからエアビーに着物体験を登録したり、母が亡くなったり、コロナウィルスが蔓延したり、義母の認知症がひどくなって施設に入れたり、本当にいろいろなことがあり、それを書き続けてきましたが、だんだん年取ってきて物忘れがひどくなってきたので、備忘録代わりに記してきてよかったと思っています。ネット界の仕組みがよく理解できていないので、見て下さる方の人数もよくわからないし、一方的にこちらから発信しているだけなのですが、検索欄に読んでいただいている今までのブログの題名が出た時に、改めて読み返してみて、自分でこんなことを考えていたのだと驚いたりしています。

 2020年の10月に書いた「この世の関節は外れたわい」というハムレットのセリフの題名のブログをたまたま読み直して、びっくりしています。「にほんごであそぼ」という子供向け番組に触発されて書いたものですが、マクベスの「きれいはきたない、きたないはきれい」「悪いことをすると自分に返って来る。そして眠れなくなる。」「人生は歩いて居る影に過ぎん。哀れな役者だ」「カタルシス。もうひとつの人生を生きて見ることにしよう。」「違う自分になるんだ。風のようになるんだ」というセリフを折り込んだシェイクスピアの歌を三人の子供たちが歌って踊るのを私はずっと見ていました。そして最後は「一たび悪事に手を着けたら、最後の仕上げも悪の手にゆだねることだ。」  マクベスのセリフです。

 「この世の関節が外れたわい・・ 」これはハムレットの中のセリフでした。

 ところが恥ずかしながら、この中のカタルシスという言葉の意味が私には解らず調べて見たら、ギリシャ語で「精神の浄化」を意味して、不安や怒りなどの心の汚れや罪の意識などを取り除いて、精神を正しい状態に戻すことだそうです。文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常世界で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされるとのこと、抑えられていた感情が解放され、心の中がスッキリするとか、マクベスのような激しい文学を読み、追体験することで心が解放される。こういうことを繰り返していると、人間の幅が広がり、ものに動じなくなるのでしょう。何かを思うようになる、人間の幅や深さは人それぞれ違いますが、それぞれが影響し合う事で何かのエネルギーが生まれるのです。

  これからの数週間はかなりセンセーショナルな、ドラスティックな思い切った変容の時期が容赦なく始まっていく星の動きがあって、人間たちの魂がぬるま湯の中で腐っていかないように強烈な霊力が襲ってくる、変わることを拒むなら、滅ぼされてしまうとのことです。ひたひたと時代の切り替わりの時が訪れているのを感じます。  (ここまでが、2020年のブログです)

 

 今ロシアがウクライナと戦争をはじめて、世の中の転換期だ、何かが大きく変わると言われ続けていたことが、明らかになってきています。これからもっともっとひどいことが起きるかもしれない。マクベスが魔女の予言によって沢山の悪事を犯し、滅んで行ったのもそうせざるを得ない運命だったとしたら、マクベスは自分の心に描く恐ろしさや自分の弱さに負けて、運命にただ翻弄されているのかもしれない哀れな存在なのでしょう。

 コロナウィルスに翻弄され、今度は”マクベス”に撹乱されている世界だけれど、怖れることはない、自分の力で自分の精神を浄化して、自分の内側にこそ世界を変えるパワーがあることに気づき、どんなに頑張っても報われないことからも学び、もがき苦しむ生き様もさらけ出し、今度は風のように違う人生を歩もうと努力していくことを、1600年代にシェークスピアは示していたのです。

 

その磧礫せきれきもてあそんで玉淵ぎょくえんうかがはざるものは いづくんぞ驪龍りりょうわたかまれる所を知らむ

その弊邑へいゆうに習うて上邦じょうほうざるものは いまだ英雄の宿やどれる所を知らず 

 

「浅瀬で砂や石ころをいじって満足しているような志の低い者は、深い水底で龍が宝の玉を抱いていることなど知らない。小さな村に閉じこもって視野の狭い者は英雄が活躍する輝かしい世界があることを知らない。」

 こんな文章を読みました。

世界はあまりにも深く、広く、果てしないのです。先へ先へ、進まなければなりません。