守ること

 昨日は、義父のお母さんのとみさんの祥月命日でした。朝、強く何かを感じて、仏壇の中に在った過去帳を見たらとみさんの命日で、忘れるところだったと考えながら朝のお茶を供えた時、手が滑ってお茶を仏壇にこぼしてしまいました。必死で謝りながらタオルで拭いて、小さい扉も外して乾かしながら、とみさんの事を考えていました。富山のいいうちのお姫様だったんだと夫は言うのですが、みんなで江戸へ出てきて、職人さんで彰義隊の末裔の兼三さんと結婚し、三男四女をもうけたのですが、義父の兄と弟は小さい時に亡くなり、義父は男の子一人大事に育てられ、戦争を経て家族みんなを守ってきました。向島に住んでいたので、空襲に遭い焼け出されて葛飾の高砂に来たのですが、とみさんは子供の小さな位牌を大事に持ってきて、今も仏壇の中に「源さん」と「武さん」があり、義父の七回忌の時一緒に百年忌もやってもらいました。

 義父はお嫁に行って若くして亡くなった妹さんの位牌も自分で引き取り、お墓も一緒に立ててあげたのですが、今思うと本当に家族を守ってきたんだなあと感心してしまいます。お茶をこぼしたから、いつもよりも入念に仏壇を掃除し、お花や果物を供えながら夫に「とみさんは何が好きだったの?」と聞くと、キセルでタバコを吸って、お酒を飲んで、歌舞伎が好きだったと断片的な思い出を語っていました。歌舞伎好きな娘はとみさんの血をひいているのかしらと思ったり、息子はなぜかひいおじいちゃんの兼三さんに惹かれていて、学生の時のあだ名が「ケンゾー」だったのも、面白いのです。仏壇を綺麗にし、墓参りに行くのは家を継いだものの義務だけれど、最近はとみにご先祖様に守られている感覚を強く感じている私たちは、とみさんの命日に、何十年もしまわれていた物たちにも区切りをつけるため、銀座に行ってお店で鑑定してもらい換金して、そのまま六本木のウクライナ大使館に義援金として寄付してきました。

 人は何のために生きているのでしょう。家族を守り、家を守り、国を守り、誇りを守り、生きとし生けるものすべてを守るために、毎日生きているのです。戦争でなくても、日々の生活の中でも、私たちはいろんな罪を犯している、何でこんな生き方をしてしまうのだろうと、若い時は特に悩んだのですが、頑固で難しい義父のいる家に嫁いでからは、試練ばかり続き、あっという間に四十年たって思うのは、義父の魂は寄せ書き日の丸にあり、とみさんの魂は、ぬくもりは源ちゃんと武君の小さな位牌にあるということです。どんなに大事に守りながらとみさんは位牌を持って戦火をくぐり抜けたのでしょう。

 人は何で生きるか。何かを守るため、自分の考え、技能、心、誠実さを守るため。ピーターフランクルさんのご両親が迫害されて身一つで逃げていた時、「全てを失っても自分の中の人間が本当に持っているものは、頭と心の中にある。他は奪われても残るのは、自分が覚えた知識や技能、心温まる人間関係・・そうしたことを大切に生きなさい。」と息子に諭していた言葉を切実に感じています。本当に大変な事態です。対岸の出来事ではない、自分達の、人間たちの、現在の問題です。

 ウクライナ大使館に直接寄せられた義援金は何億にもなるそうで、夫もほっとしたと言っています。苦しい戦いの中で、気持ちが折れたらおしまいという時、色々な経験をし、色々な感情を積み上げてきた人間でないと、なかなか胆力を持って対峙できない、自分が自分であることに誇りを持ち、だから全てに愛情が持てるということを自覚して、今を生き抜いていきましょう。