成熟すること

 相変わらずロシアの攻撃は止まず、先だっては震度6という大きな地震が宮城や福島で起き、寝ていた私たちもあまりの揺れの長さに驚いてしまいました。あるテレビ番組で、プーチン大統領は2008年にルーマニアで開催されたNATOサミットの時、アメリカやNATOに対して、堪忍袋の緒がついに切れたのですと専門家が言っていて、私は前にゲストとして来たルーマニアの中小企業の社長の仏教彫刻に対する質問に答えられなかった悔恨の想いがあるので、ルーマニアに反応してしまい、それからいろいろネットで調べてみて、この戦争は簡単に終わるものではないし、プーチン氏は狂った独裁者でもなく、色々な布石を経て、十年以上の蓄積を経て、この状況に至ったということを正しく知らなければいけないとわかってきました。

 太古の昔から、人間は争って来た。~戦争、~戦争と眠い温かい昼下がり、子守歌のように聞こえてくる高校の世界史の先生の声が、なぜか今になって蘇ります。歴史はつまらない受験勉強の科目に過ぎないと思いながら、進学校にいたのに勉強もしないでドロップアウトした私は、50年たった今、自分が切羽詰まった歴史のど真ん中にいることをはじめて認識しています。プーチン大統領は狂った独裁者で、彼さえいなければ戦争は収まると思っていたことが、少し違うと思えてきて、2016年にフィオナ・ヒルという米研究機関の第一人者が書いた「プーチンの世界」という本を調べています。

 ソ連時代はKGB(国家保安委員会)で対外インテリジェンスを担当する中堅職員だったプーチンは、1996年にモスクワで大統領府に勤務するようになってから急速に出世の階段を上がり、ロシア初代大統領のエリツインにより後継者に指名されたのち、盤石な権力基盤を構築し、専制君主のような地位を得ました。「国家主義者」「歴史家」「サバイバリスト」「アウトサイダー」「自由経済主義者」「ケース・オフィサー(工作員)」という6つのペルソナ(個性)があると分析されるプーチンの場合、ゴルバチョフソ連共産党書記長が開始したペレストロイカ(改革)による解放感を経験していないことが重要だというのです。ゴルバチョフが書記長になった1985年にプーチンは東ドイツのドレスデンに赴任し、1990年はじめにソ連に帰国しましたが、その間レニングラードではいろいろなことが起き、知的・文化的な破壊と創造を経て、ペレストロイカを始めその時の人々の熱狂ぶりや高揚感はプーチン夫妻にとっては人の話を通してしか知らないことで、帰国して見たものは断末魔の苦しみにあえぐソ連でした。プーチンが多くのロシア人と1980年代後半の知的、社会的空気を共有していない、そのことが、プーチンの世界観に無視できない影響を与えています。

 プーチンの行動様式は、外交においてもケースオフィサー(工作員)そのもので、1対1で個人的人間関係を構築する技法に長けているけれど、それは相手を対等の友人として尊重しているのではなく、ロシアの国益にとって操作可能にするためで、その観点からすれば、私的利益を追求する腐敗政治家は、プーチンにとって利用価値の高い工作対象になります。前ウクライナ大統領のヤヌコーヴィチがその例ですが、彼は強欲すぎたため国民の反発を買いロシアへ逃亡してしまって、その結果ウクライナへの影響力を保全するためにプーチンはクリミア併合、ウクライナ東部のドネツク州、ルガンスク州をロシア系武装勢力の支配下に置くという冒険をせざるを得なくなったのです。その代償は大きく、ロシアと米国、EU(欧州連合)との関係は著しく悪化するのです。彼は民主主義や市場経済といった普遍主義的価値を堅持すると言いつつ、ソ連崩壊後のエリツイン時代の改革路線が、ロシアに欧米モデルをそのまま移植しようとして却って混乱を生んだ反省から、ロシアの伝統、ロシア的な価値、ロシアの現実も同時に重視すべしという折衷主義を主張しました。

 1990年代のロシアは政治混乱と経済破綻ゆえに途上国並み以下になったけれど、プーチンが大統領になった2000年以後は、油価(ガス価)の急上昇によるオイルマネーで「大国」意識が急速に復活し、改革派だったチュバイス元副首相も、2003年にはソ連時代の大国主義を賛美して「リベラルな帝国主義」を主張しました。ソ連崩壊後のロシアにおける改革派とは民主派の事であり、本来帝国主義には断固反対するはずなのですが、プーチン大統領の微妙な心理の変化を読んで迎合したのです。この思想が現実になったのが、2008年のロシア軍によるグルジア侵攻で「ロシアの特殊権益圏」という地政学的概念が打ち出され、次が2014年の「クリミア併合」で、その後プーチンはこのクリミアの地に、最も反動的皇帝と言われた19世紀末のアレクサンドル3世の銅像を建立し、その除幕式で「我々は敵国や我々を憎んでいる国に包囲されている。我々ロシア人には友人はいないし、友人も同盟国も必要ない。最良の同盟国でも裏切るからだ。ロシアが信頼できる同盟国はロシアの陸軍と海軍のみである」という皇帝の言葉を引用して彼を讃えています。 

 ドイツのメルケル首相は「ミスター・プーチンは、我々とは違う世界に住んでいる」と言います。2008年のグルジア戦争で欧米・NATOの弱腰を見抜くも、アラブの春のような強制的民主化に危機の前兆を見たプーチンは、2012年にいったんメドベージェフに譲った大統領に復帰して、国内からは大きな非難を受けるが様々に強行し、2014年のソチオリンピック開催で完全に既成事実化、オリンピック終了後わずか3か月でクリミア侵攻しロシア化、同時にウクライナ東部のロシア人居住地域に進攻、マレーシア機の撃墜もうやむやにしてしまいました。その8年後の今、2022年にまさに第2次ウクライナ危機で2月22日の今日、東部のドネツク、ルガンスクのロシア人支配地域の独立を一方的に承認しました。西側では善と捉えられている諸外国の民主主義や自由市場を促進するという西側の政治体制の本質部分がプーチンの世界では全く善ではないのです。プーチンの作り上げた(あるいはロシア的な)閉鎖的なワンマンネットワークや経済のみかじめ料制度の上に立つロシアの政治体制にとって、民主主義や自由市場の促進は明らかに脅威だということ。そしてそんなロシアのありさまがプーチンにとってはロシアとして正義だと認識しているということが、そのロシア主義の先にグルジア戦争があり、ウクライナ危機があるのです。

 ペレストロイカ体験の欠如が自由や民主主義、多元性の軽視といった彼の世界観に影響を及ぼしているであろうこと、それがメドベージェフなどのペレストロイカ経験者との世界観のギャップを形成しているという見方があります。そしてロシアにとって西側世界への窓口としてのドイツの存在があり、逆に言えばプーチン政権及びプーチン自身にアメリカへのチャンネルが欠如しているということが、現在の米露対立の背景となっていることです。かねてプーチンは歴史家を自称してきて、大統領就任以来、プーチンと彼のチームは歴史認識を巧みに使って政治的な立場を強化し、重要な出来事の骨格を描いてきました。プーチンは歴史の持つ力を認識しており、歴史は彼自身や国家の目標を実現するための手助けになるだけではなく、正当性というマントで、自身やロシア国家を覆い隠す手段にもなり得ることを熟知しているのです。

 プーチンが第二次世界大戦中、ロシア史のなかでも指折りの暗黒時代を生き抜いた人間たちの子孫であるということは、大きな意味を持っています。戦争や困窮という個人的な生存に関わる体験がプーチンをサバイバリストにしたのです。「まず、西側の諸国の多くの人々は、プーチンを見くびりすぎている。彼は目標実現のためならどれだけの時間や労力、きたない手段をも惜しまない人間であり、使える手段は何でも利用し、残酷になることが出来る。プーチンは単なる戦術家ではなく、戦略的な思考に長け、西側諸国のリーダーたちよりも高い実行力を持っているが、一方で私たちのことをほとんど知らず、動機、考え方、価値観について、彼は危険なほど無知なのである」

 彼はドイツという窓口や2007年2月のミュンヘン安全保障会議の場を利用して、アメリカの当局者や専門家に直接訴えかけたが、怒りの矛先は、アメリカが一極支配する安全保障システム、国連という枠組みの外での軍事行動などに向けられ、そのアメリカ批判は痛烈を極めました。特にNATO拡大に対するプーチンの考えは全くぶれることがなくて「NATOは前線部隊を我々の国境付近に配置してきて、それでも我々は条約義務を厳格に守り、こうした活動にも目をつぶってきた。NATOの拡大が、同盟そのものの現代化やヨーロッパの安全保障の確保と無関係であることはあまりに明らかだ。一方、お互いの信頼を貶める重大な挑発であることは間違いない」

 一年後の2008年4月、ルーマニアのブカレストで開催されたNATOサミットの際にも「もはやソ連も東側諸国もワルシャワ条約機構も存在しない。だとすればNATOは誰に対抗するためにあるのか?NATOブロックの存在自体が今日の課題や脅威の有効な解決策になるわけではない。それでも、NATOが今日の国際社会の要素、世界の安全保障の要素の一つだと認識しているからこそ、われわれは協力しているのだ。NATOの拡大の目的はロシアに対抗することではないという。私はヨーロッパの歴史に大いに関心があり、その歴史を愛している。ドイツの歴史もしかりだ。ビスマルクはドイツだけでなく、ヨーロッパにとっても重要な政治指導者だった。彼は言った。こういう場合、重要なのはそうする意図があるかどうかではなく、そうする能力があるかどうかだ、と……われわれは東欧に配置していた部隊を撤退させたし、ロシアのヨーロッパ部分にあった大型の重兵器のほとんどを撤去した。それから、どうなった? われわれが今いるルーマニアの(米軍)基地、ブルガリアの(米軍)基地、ポーランドとチェコ共和国へのアメリカのミサイル防衛システムの設置。西側の軍のインフラがすべてわれわれの国境近くへと移動しているのだ」

 

 調べれば調べるほど、色々な紛争や侵略がずっと以前からあって、ウクライナ問題も今に始まったことではないし、同じ様な事ばかりずっと続いている世界中のいがみ合いは、果てることがありません。でも今回こんなにもはっきり戦争の構図が見えてきたのは、コロナウィルスの影響で世界中が動けなくなっているその最中ということもあるのでしょう。ロシアもウクライナの人々も、みんなマスクを付けず消毒もしていない、それどころではないのです。コロナよりも人間の行為の方がいかに残虐か、死者の数字は比べ物にならない。この15年間、プーチンはキレっぱなしであり、その導火線はつねに剥き出しだったといいます。少し前に見た古い映画「タワーリング・インフェルノ」を思い出しました。どんなきっかけであれ燃え始めた火は、あらゆるものを焼き尽くし滅ぼしつくすまで消えないけれど、それに対して戦えるのは原始的な、根源的なまでの手法であり、勇気や誠意であり、愛情なのでした。

 エアビーの着物体験で700人以上の外国人がこの家へ来てくれたということは、神さまの恩寵であり計らいであると私は今思っています。いろいろな国の、色々な民族が来てくれて、着物を着せてお寺へ行き町を散策するという4時間の体験の中で、私が得たものは大きかった。それこそロシアから、東欧から、アジアから、ヨーロッパから、色々な考えを持ち、色々な経験をしている人々が日本に魅かれてはるばるやってきました。肌のぬくもり、心からの微笑み、ある時は不満の表情、払いのけられた手、日本人よりも表情の豊かな彼らの一挙手一投足に様々なことを感じることしかできなかった私は、今になってネットで簡単に調べられる膨大な歴史を見ながら混乱しているのですが、サンクトペテルブルグから来た若い女の子たちにもらったチェブラーシカというぬいぐるみのお人形を見ながら、このキャラクターひとつにしても、ロシアの国民性や民族の根幹から成り立っていることに深い感慨を覚えます。

 チェブラーシカが自分が正体不明の誰にも振り向かれない存在だった時、孤独や寂しさを救ってくれたのは、やはり動物園で孤独に暮らしていたワニのゲーナだった、ロシア語にスヒチーヤという言葉があって、台風とか地震とか、あるいは人間の感情とか自然発生的に出てくるおさえようのないもの、どうにもならない感情だそうですが、これを私はうちに来た何人かのロシア人に感じたことがありました。諦念というか弱い希望というか、はっきりしないものですが、チェブにもゲーナにもある気がする、でもそれを認めることがとても楽なことだった気もします。自分が孤独であってもたった一人の人に心から受け入れてもらえる安心感、その概念があれば自分の弱さを見つめることが出来る。天涯孤独の得体のしれないチェブラーシカが孤独なワニのゲーナと会って幸せなこと、このことがすべてなのかもしれません。身寄りもない家族もない、それでも幸せということと、家族も地位も名誉もあっても不幸だということ。 

 私は友達がいないと言い切った若い綺麗なロシアの女性がいました。プーチンの演説のなかに「我々ロシア人には友人はいない」という言葉があったし、チェブラーシカの人形のおなかを押すと流れてくる歌は「僕は一人ぼっちで友達もいない、今日は誕生日なのに来る人もいない」というのです。孤独に耐えられ、簡単につるまないのは、寒い広大な国に暮らしているせいなのかしら。でも無表情で感動を外に表さない日本人も、異色なのです。

 ロシア通の五木寛之さんと佐藤優さんの対談を読んでいて、五木さんが今目指すべきは「成長」でなくて「成熟」ではないかと問いかけています。生まれた時からインターネットがあった20~30代の「Z世代」と呼ばれる若者たちは、みんな競争に飽き飽きしていると言います。こんなに簡単に世界中の出来事や歴史やもろもろが簡単にわかってしまう世の中に育ち、それこそこれからの仕事はAIがした方が効率良いといわれ、人間不在の風景がどんどん広がっていきます。キリスト教では、カトリック教会とロシア正教の聖餐式、聖体拝領、ミサというものはリモートではできない、司祭の祈りによって目の前でパンと葡萄酒が「実体変化」して、キリストの肉となり血となるので、その現場にいて食べないといけない、一方プロテスタントではただのシンボルだから、家で買って来たパンとワインでいい。でも、宗教にはやはり「肉体性」が必要なので、宗教としてカトリックや正教、それからイスラム教は強い。プロテスタントや仏教は近代化してしまっている。今戦いを起こしている国々の宗教はリモートでないというのも、考えさせられることです。

 

「人間の世界は矛盾だらけで、努力しても報われないことが山ほどある。それを覚悟したうえで努力すれば落ち込まずに済む。コロナ以後に試されてるのは、立派な成熟をどう遂げていくかということ」いくら年を重ねても、自分も含め成熟できていない人間のなんと多い事か。努力を重ね、失意を重ねた後に、人間は成熟していくということを、いつも考えなければならない。コロナウィルスも、ウクライナ紛争も、私たちの目を見開かせ、新たな精神世界を模索して努力せよとの指針なのです。外国人と無我夢中で接触し、何とか相手の心の中に入ろうとしたあの時の努力は報われたのかどうかわからないけれど、自分の持つすべてのカードを出しながら、相手をわかろうとする術を、もっと成熟させていかなければならないことを、考えています。