陰翳礼讃

 映画「Inei-Raisan」は、谷崎潤一郎の随筆『陰影礼讃』を原案とする映画で、”有馬で恋さん”の監督高木マレイさんが2018年に作ったもので、茶会の一連の流れと夢幻能の構成を織り交ぜた、全編セリフ無しのクリエイティブ・ノンフィクション形式による映像作品です。主演は、国木田独歩の玄孫でファッションモデルの国木田彩良さん、西陣織の老舗・細尾のきものを纏い、いわくありげな茶人役をつとめています。 能楽シーンは観世流能楽師の林宗一郎さん、題字は書家の神群宇敬が手がけ、茶室内のしつらえには、樂茶碗の次期当首(16代)の樂篤人、ガラス作家の荒川尚也らが協力し、さらに伏見の蔵元「藤岡酒造」の日本酒や、寛永年間創業の菓子司「寛永堂」の和菓子、美食家であった谷崎が好んだという「いづう」の寿司も登場して、京を代表する老舗や作家、食に至るまで、豪華な面々が揃っています。

 日本人の母とイタリア人の父を持つ27歳の彩良さんは、ロンドン生まれでパリに育ち、現在は日本に在住しています。谷崎の「陰翳礼讃」は様々な言語に翻訳され、今や世界中の人々に読み継がれていますが、とりわけフランスで高い評価を得ていて、パリに憧れ、映画の世界を夢見て渡欧した高木マレイさんはそこでこの本に出会い、再び日本の文化に目を向けることになりました。構想5年、オール京都ロケによる2年間の撮影を経て、日仏交流 160 周年の年に、パリ/京都2都市の芸術文化の架け橋となる「ニュイ・ブランシュ」という祭典に合わせ、『IN-EI RAISAN』は初上映されました。

 ヒロインの彩良さんは、小さい時は日本人のハーフであることについて複雑な思いを抱いていて、「自分の居場所はどこなのだろう」「自分は何者なんだろう」周りのみんなと外見も違うし、育ち方も違う、日本人の血をひいていることを恥ずかしいと思うこともありましたが、お母さんには「大人になったら、それがどんなに周囲が羨むことかわかるから」といわれ、自分の幸運をだんだん実感できるようになってきたそうです。「自分の居場所に戻ってきた」「違和感がない」日本人の考え方が自分の中では自然に受け入れられたのです。

 彼女は保守的であることをあまり良い事とは思わなかったし、世の中が変わっても自分が変わらないというのは危険なことだと思っていましたが、日本の「コンサバ」は守るべき自分、守るべきカルチャーを持っているということで、これは誇るべき素晴らしい事なのだとわかりました。ハーフであることは、さらに特異な状況かもしれず、どこに行っても自分は「部外者」だと感じてしまうのですが、ある意味「外」からの視点を持っているということは、ラッキーと言えるかもしれません。ファッションは単なる服飾ではなく、女性のコミュニケーションで、長い歴史の中で社会的地位が確立されていなかった女性たちは、ファッションを通じて自己表現をしてきました。

 「日本の女性たちはまだまだ自分に自信を持てていないように見えるのですが、肌の露出を控えて体のラインを消すことで、外見な特徴よりも内面的な特徴を重視するのが、日本の着物だと思っています。シンプルな衣服で、その人の持つ個性を前面に出す点は、パリの女性のファッションと共通するのかもしれません。現実の日本は、”外”に向って開かれていて、色々な要素が混在していますが、もっと世界に開かれた日本を発信し、日本人が日本人らしい魂を持ち、日本人らしくファションを個性的に着こなせて、たとえ新しい着こなしをしていても、その中に日本人らしさを保っているということも表していきたいのです。これは他のどの国でも見られない日本の特性だと私は思います。伝統的なものというと、茶道であったり、書道であったり、日本舞踊といったものが思い浮かぶと思いますが、実際には、それらは保守的というよりはモダンで、コンテンポラリーな要素を多く持っていて、洗練された所作は、時代を超えて人の感動を呼び起こす力強さと美しさを持っています。」

 「一つ確かなことは、外国の人々がこうした日本の文学や芸能、美学をこよなく愛するのは、それが他の何処にも見られないということです。他のどの国でも、伝統的な衣装を、世代を超えて着こなすということは見られません。意志を伝えあうのに言葉が不要って、素晴らしい事だと思います。ただ感情を伝えようとするだけでいい。映像は勿論ファッションもそうですし、絵画や写真、匂いも良いのですが、こういった言葉のないイメージが、時に大きなインパクトを与えることが出来るということは、非常に興味深いことです。日本の美とは実はとてもシンプルなもので、壁を打つ雨音であったり、風に揺れる木々の音だったり、一年を通して変わる色彩などです。これらは誰にとっても間違いなくインパクトフルなのです。もしかしたら、日本の人達はもうそれに慣れてしまっていて、感動は少ないかもしれません。大衆向けにデフォルメしたリ、ということは往々にしてあると思うので、私にとっての挑戦は、そういう”いかにも日本人”な演技をせずに、見る人に日本人らしさを感じさせるということでした。」

 「自然体を表現するということは、かなり高度な挑戦です。忍耐の文化と忍耐を見せない文化というものを、深く実感しました。正座をしている最中でも、何より美しく見せなければいけない。けれど、その努力を表に見せてはいけない。それが難しかった。それまでは、人に認められたい、仕事で結果を出したいという思いが強かったし、今でもその気持ちがなくなったわけではないのですが、大きく変わったのは”自分を大切にしたい”という思いが生まれたことで、自分が気持ちよく仕事ができるか、人からのアプルーバル(認められること)ではなく、自分で自分を良しとできるか。人生における優先順位が変わったと思います。」 

 「我慢すること、頑張ることは、大人の社会では確かに必要なことだけれど、ただその先に”光”がなければ、ただの自分いじめに他ならない。人生にはたくさんのオプションが用意されている。我慢や頑張りの先に喜びが見えないなら、やめてもいいし道を変えてもいい。辛いだけなんて、自分の人生に申し訳ないですから。」

 「仕事で成功を収めるのがサクセス、いいお母さんになったらサクセス、そんな日本社会の”サクセス”のイメージを変えていきたい。それぞれの人生で、自分が気持ちよく生きられることが何よりのサクセス。そう思えれば、回りの人のサクセスも尊重出来て、ダイバーシティはもっと広がるはず。日本人なら誰もが持っている他人をおもんばかる能力を、もっと発揮してもいいのではないでしょうか。」

 いろいろなコメントを読みながら、はた目にはロンドン生まれのパリ育ちで、イタリア人の父と日本人の母を持つスタイル抜群の美人さんで羨ましい限りだと思うのに、パリで通っていたカトリック系のプライベートスクールでは、回りはみんなフランス人でブルジョワと呼ばれる由緒ある家柄の子供も多く、アジア人とからかわれたり「お米」と呼ばれたして、6歳の入学時から高校生になるまで、学校では一人で過ごすことが多かったそうです。フランスを「疑いにまみれた国」だと話す彼女は、住む人達は何事もすぐには信じず、自分の目で確かめてから初めて受け入れたり、理解したりするそうで、幼いころから常に疑問を持って生きてきたのです。6歳の頃、初めて経験した疎外感が深く心に刻まれ、周囲の人と異なることが悪い事、よそ者はバカにされる、あまりにも幼い年齢でそんな風に思い知らされ、子供だった彼女はそのことにショックを受け、学校に行くことに抵抗を感じるようになります。

 逆境において自分を守り立て直す”回復力”を意味し、ストレスフルな社会で役立つ能力として、「レジリエンス」が今注目を集めてで、コントロールできない現実を無視せずまずは受け止め、そこから自分自身のタフネスを作る大切さを知ることが大事だそうです。今日は誰とも会いたくない、喋りたくないという自分の気持ちをスルーせず、あえて立ちどまり、そして心をピースフルに落ち着かせていると、”自分と過ごす”活力が戻ってくるのを感じます。「レジリエントな」と形容される人物は、困難な問題、危機的な状況、ストレスといった要素に遭遇しても、すぐに立ち直ることができます。もともとは物体の弾性を表す言葉ですが、それが心の回復力(精神的な強さの指標の一つ)を説明するものとして使われるようになりました。

 彩良さんは2020年にコロナが広まり始めたころ、モデルの仕事が減ったこともあり、自分の時間が出来たので、自分の目指す方向や、どういう仕事が気持ち良いのか、長い目で見た時何が成長する仕事かどうか集中して考えて、ビジネスパートナーと約7か月で会社を立ち上げました。既に制作プロダクションはたくさんある中で、自分達がそのマーケットに入る理由として、独自性のあるアイデンティティをしっかりと構築しなくてはいけない、自分達がよく理解できるアイデンティティに集中するには、興味を持っていたその時代の人間の生き方や考え方を衣服のデザインに込めるというファッションのポリティカルな側面や、歴史、ビジネスも考えていかなければならない。ロンドン生まれパリ育ちの彼女のミッションは、ヨーロッパと日本のマーケットの間に橋を架けることですが、日本のマーケットは独特で日本人にしかわからないことが多いし、日本の深いカルチャーを知ることは難しい。逆も然りでヨーロッパのブルジョアに憧れがあってもそこで生きた経験がないと芯のセンスはわからない。ブランドもそうですが、それぞれが生まれた国のアイデンティティをリスペクトして守りつつ、海外のマーケットに持ってくることが大事だと思うと言います。ジェンダーの平等や政治的な話をするときも、自身を持たなければいけないし、勉強して何を聞かれても揺れない自分を作ること、そのためにわからないことがあれば何でも聞くこと。自分の強みと弱点を認識して、スキルが高い人たちと仕事をすることも、大事です。

 娘が教えてくれた”有馬に恋さん”や、この”陰翳礼讃”の映像を見たり、関わった方々や、国木田彩良さんの考え方、行動性は、これからの世界になくてはならないものだし、これらのエートスを私も自分のものにするため、もっともっと考え続けて行かなければならないことを痛感しています。