失敗する準備

 国木田彩良さんのコメントやインタビュー記事を読んでいて、27歳という若さなのに考え方が違うと感心しているのですが、27歳というのは大谷翔平選手や羽生結弦選手と同じで、この年代は異彩を放っているのです。みんな一人で戦っている、コロナ禍では色々なことが厳しい状況になっているのだけれど、無駄な夾雑物がなくなり、風通しの良くなった分、足を引っ張る悪しき者たちから離れることが簡単になってきています。それらは顔を見せずひたすら叩くけれど、叩かれることをおそれていたら何もできない、却って叩かれないということは、きっと何もしていないということだと彩良さんは言います。

 失敗するのは怖いし恥ずかしいけれど、失敗するほど強くなって自分のキャパシティも広がっていく。彩良さんは日本の事を知るにつれ、仕事でもプライベートでも、一発で成功を決めないといけない「ワンショットカルチャー」だと気づき、日本社会で暮らす人は責任感が強く、失敗を恥じる傾向があり、人生はそんなにうまくいかないものなのに、日本ではみんないつも100点満点であろうとしすると気が付きます。大事なのはこれらのリスクを回避することではなく、『逆境を乗り越える力』で、失敗を生まないことが重要ではなく、失敗と向き合い乗り越える力がないと、成功を手にすることができない。失敗する準備ができていない人は、成功する準備ができていないことを、彼女は逆境の中で学んだのです。

 どこへ行ってもゲスト扱いされる自分の人生の中で、自らのアイデンティティに苦しんできた彼女の言葉を読んでいて、二年以上前にオーストラリアから来たオーストラリアとカンボジアのハーフの女の子のことを思い出しました。髪を薄緑に染めた可愛い彼女は着物を着せようとした時に堰を切ったように、早口で自分のアイデンティティに苦しんでいることを訴え始めました。カンボジア人のお母さんと離婚したオーストラリア人のお父さんは、オーストラリア人の女性と再婚し、弟たちが生まれたこと、カンボジア人のおばさんはポルポト政権に虐殺されたこと、自分はいつも一人きりで、心の持って行き場がない事。私の能力では彼女との会話は成立できず、着付けだけのゲストなので予備知識も何もない中で、超イケメンのボーイフレンドと柴又へ着物着て行ったものの、こんなに闇の中に取り残されて何もできない気持ちを持ったのは初めてでした。

 あれから三年以上たっているけれど、それでもまだ彼女は23歳、どんな風に暮らしているのかしら、日本でもどこでも自分の思いをありったけ吐いてしまえば楽になって前に進めるのでしょうか。彩良さんは「人生どこに行くべきかを決めるためには、自分が何処から来ているかわからないと難しい」といい、もっともっといろんなことに全力で挑戦して、失敗してみたいと思うと言います。「過去にどれだけ胸が痛む出来事があっても、私はそれを乗り越えた自分がいることを誇りに思うし、その先にようやく『私自身』が見えてきた今、自分のために、人生を楽しむべきだと思う。」オーストラリアのあの女の子は、自分のために人生を楽しめているでしょうか。

 自分で考え、乗り越えるしかない、世の中の出来事について感じる違和感に対して自分の意見を持ち、失敗を恐れずに挑戦し続け、誰かが求める綺麗なモデルとして生きるのではなく、なりたい自分に向って、日々考えを深めて失敗し傷つきながらも、突き進んでいく彩良さんは、強い言葉を吐き続けます。曽祖父の国木田独歩や曾祖母を始め、彼女の家系が教えてくれたのは「誰にも理解されなくても大丈夫」ということで、周りからすぐに理解されなくても、自分自身が納得できることや使命感を感じることには、何かしら意味があるということ。もしかしたら一生誰にも理解してもらえないかもしれないけれど、それでもいいのですという彼女の強さこそが、これからの混迷の時代を生き抜く上での成熟に繋がるのでしょう。人のためとか人から褒められたくてではなく、自分の夢のために生きたい、生きようと思い至ったのです。「コロナはネガティブな出来事だけど、だから私はメンタルヘルスこそ重要だと気づいた。これからは、その自分の気持ちに正直に、シンプルに、楽しい、うれしいと思える働き方、生き方をしていきたい。そう考えています。我慢が美徳でなくて、自分らしく気持ちのいいことをする。それを大事にしています。」

 今日は雨降りでとても寒く、電力逼迫情報も出て、家の中でもコート着たりショールを巻いて暖を取っていますが、ウクライナや難民の方々は寒い中で凍えているのだと思うと、私たちも耐えなければならないことに今更ながら気が付きました。ロシアの攻撃は熾烈を極めても、自分達は決して街から出ることはないという決意を聞きながら、今事態はピークを迎えていることを感じます。