武君

 三月は気候の変わり目で、体調を崩すことが多いのでしょうか、この月に亡くなった仏様は、うちの仏壇の中で三人いらっしゃいます。曾祖母のとみさん、お嫁に行って若くして亡くなった義父の妹さん、そして子供の頃亡くなった義父のお兄さんの武君の祥月命日は3月23日です。普通のスーパーとはちょっと品揃えが違っていて、目新しいものが置いてある”セルカ”というスーパーで、八ヶ岳の牛乳使ったというドーナツを買ってきて、夫が美味しいと食べるのを見ながら、武君にも二つお供えしました。

 72歳で亡くなったとみさん、27歳で亡くなった娘さん、子供の頃亡くなった武君は、お彼岸だから今自由に時空を飛び回っていて、この寒さもコロナウィルスも関係なくこちらにも来て下さっているのでしょう。寄せ書き日の丸を飾った床の間を見て、驚いて懐かしく思っているかしらと、私は勝手な感慨にふけっていますが、電力逼迫の為節電要請されているので、電気もなるべく消し、この寒いのに夫はコートを着て暖房を消して、パソコンとにらめっこしています。

 夜にはウクライナの大統領のオンライン演説がテレビで流れ、原稿も見ずに話す姿を見ながら、細かいニュアンスなどは同時通訳さんの言葉を聞きながらではわからないけれど、様々な苦難や歴史を経てきたヨーロッパの人々の厚みとか、そうアイデンティティの深さ、わかりにくさを感じていました。今日の朝のワールドニュースでは、攻撃が熾烈を極めるウクライナの街で、必死に土嚢を積む市民の姿や、授乳中に爆撃されて赤ちゃんを守り、体中に傷を負って入院している若い母親の映像がうつしだされ、これはゲームでもスポーツの争いでも映画のシーンでもない、今起きている現実です。BSテレビのチャンネルを変えたら、今北極や南極で起きている異変、溶けていく氷や気候の極端な変動が、何十年後には世界中を混乱に陥れる状況になるだろうという予言までされている事実が研究されているのです。一体私たちは何のために生きて、勉強して、暮らしているのでしょう。

 昨日久しぶりに実父の夢を見ました。実家の弟夫婦は仏壇もしまい込み、位牌もどこに置いてあるのかわからないし、お線香も上げたことがないということなので、お彼岸でも行き場所がないから、父が遊びに来たのかしら。田舎育ちの父に、酒まんじゅうでも供えたいと思いながら、久しぶりに晴れたので屋上に上がってみました。穏やかな彼岸明けで、高砂の町はいつものように穏やかで静かです。でも、これからロシア軍の飛行機がミサイルを撃ち込んだウクライナの街のようにならないという保証は全くない。無差別に攻撃されている人々は、まさかこんなことが起ころうとは思っても見なかった、見たことがない風景、味わったことがない恐怖への怒りを、どこに持って行けばいいのか。もう覚悟を決める時が来たのでしょう。

 全く明日はわからない、いつ何が起きても不思議はない、もうロシアとかウクライナとかいう問題ではなくて、全てがごったになった渦のなかに、これから私たちは巻き込まれていきます。動こうと思います。

 どなたかが見て下さった「おみくじ」という前のブログに、お寺であるゲストが引いた英文のおみくじの中の和歌が書いてありました。

 小吉  Quite Good

  春風に 池の氷もとけはてて  のどけき花のかげぞうつれる

 The ice which covered the pond has melted away in the spring sun.  The flowers are reflecting their shadows on the water.

  春の日に暖かに和らぎ花さき匂うごとく今までの悪い運も開けて栄える御籤である。心正しく行いを直ぐにし色を慎み信神して人に慈しみを施せ、幸いいよいよ添う。Just like flowers are in full bloom on a warm spring day, you can get rid of the troubles you've suffered from. Behave yourself and love others  and  be faithful, and you'll be happier.

 

久しぶりに、本当に久しぶりに、沖縄に住んでいるアメリカ人から予約が入りました。あたふた準備していますが、柴又のお寺には英文のおみくじはまだあるのかしら。