君をのせて

 毎晩私は九時前には寝てしまうので、気になったテレビ番組は録画して、早朝に見ています。昨日は氷川きよしが出ている園芸番組や、グアム島から帰還した横井庄一さんのドキュメンタリーなどいろいろ予約した中から、一番初めにパリでコロナ前に開催された久石譲さんのコンサートを見ました。

 三年前の夏に新婚旅行で日本に来て、着物体験をしてくれたピアニストのクリストファーとは、今もたまにメールのやり取りをしていて、去年赤ちゃんのサミュエル君が生まれ、写真を送ってくれました。彼は久石譲さんのファンで、今度日本に来ることがあったら、ぜひコンサートに行きたいと言っていたことを思い出し、日本に来るよりも外国でコンサートするならそちらの方が近いのではないかと思ったのですが、コロナ禍の今はそれもかなわぬ話でしょう。

 宮崎アニメの音楽を映像と共に、オーケストラ、コーラス、ブラスバンドも加え、見事に演奏するのを聞いていて、ゲストが来ていた頃、カウンターに”もののけ姫”や”千と千尋の神隠し” ”トトロ”のフィギュアを飾っておくと、みんな目を輝かせて写メを撮っていて、本当に大人気だったことなど思い出します。次々に演奏される曲を聞きながら、宮崎駿さんと久石譲さんのコンビは最強だとつくづく感心し、誇らしい気持ちになりました。魔女の宅急便、ハウルの動く城、紅の豚、風立ちぬ、崖の上のポニョ、風の谷のナウシカ・・なんて沢山曲があるのかしらとわくわくしていたら、天空の城ラピュタの”君をのせて”を、子供たちがアカペラでコーラスで歌いだし、聞いていてもう涙があふれて止まらなくなりました。

 この歌は児童合唱でよく歌われ、うちの子供たちも良く歌っていたのですが、シータとバズーという二人の子供たちが悪の手から必死で逃れようと努力し、最後絶体絶命のピンチになった時、”バルス”という禁断の破滅の言葉を唱えて、全てが滅び、子供たちは助かって空を飛んでいくというものです。コロナ前はよかった、コンサート会場もいっぱいで、みんなで感動できたし、コロナ禍中でも、オンラインやネットで家にいても見ることが出来た。だけれど、今は残酷に拷問され、殺されていく人々が、道に転がっている光景がテレビカメラに映し出されています。子供たちも大人たちも、無差別に殺されていく。その遺体にも地雷が仕掛けられている。

  昨日も今日も、東京は寒くて雨が降っていて、朝のワールドニュースを見ていると、当事者は「そんなことはやっていない、でっちあげだ」とコメントしているのですが、私も夫も、このでっち上げの非難に苦しめられてきました。その時は何でそんなことが出来るのかと思ったけれど、混乱を極めている世界情勢を見ていると、民族性やアイデンティティの違和感などから、他者に向って考えられないような攻撃を仕掛ける人間もたくさんいるということが、身をもってわかって良かったのかもしれません。

 生きるか死ぬかという瀬戸際で、殺されたり奪われたり攻撃される前に、相手がどんな人間か察知して、とにかく身を守るため距離を置かなければなりません。でもそんなことを言っていられない状況の国が今現在あるということ、殴り殺し銃で撃ち、戦車でひき潰す行為をする人間がいるということ。仲良しこよしの同質の集団では勝ち抜けない、自分を追い詰め鍛錬し、死に物狂いで勝ちに行く精神が、結局は土壇場で皆を救える力になり、知恵となるのです。自分自身と向き合う力、運命を切り拓く力、状況を冷静に見定め、「今自分にできることは何か」「できない事は何か」を常に考えること。考える力は自分でしか得られない。

 昨日大谷翔平選手の特集のテレビ番組を見ていて、常に野球のことを考え、怪我をした時も、不振の時も、敬遠され続けて打たせてもらえない時も、いかに工夫し、トレーニング方法や生活リズムを変えて、向上できるか努力している姿に感心し、勿論資質なのでしょうが、世界情勢にしても気候変動にしても、どうしたら破滅を逃れ、前に進んで行けるかを考え続けられる人たちがそこここに居ることに希望を持たなければなりません。

 床の間に飾ってある義父の寄せ書き日の丸は、戦争に行く義父を祝うものでした。お国のために戦え、敵を倒せ、というのは、今のウクライナと同じです。なんて残虐なと思っても、それをしないと自分が反対に殺される、テレビドラマでも時代劇でも映画でも、しょっちゅう人を殺している、違うのは決して生き返らない事。撮影が終わって、うちへ帰ってご飯を食べることなどありえない、でも戦争を国家が決めたら戦わざるをえない。横井庄一さんが生前吹き込んだ沢山のカセットテープが公になり、公開されていて、「今日は敵を三人打ち倒した」とか、「隠れていた仲間が現地人に殺された」とか、裸の死体の生々しい写真が映し出されます。日本軍も現地の人々をたくさん殺したから、みんなうらんでいるのです。今のウクライナと同じ。眉をひそめて非難する資格のある人間はこの世に存在するのでしょうか。

 人は皆 孤独である。でも 自分の内なる声を聞きながら 内省を繰り返し 自分の歩みを深めていく。何かを見ることによって 自分の人生 無数の人達の人生を想像し 自分のやるべきことを より深めていく。 

 

 久石譲さんの音楽  宮崎アニメのメッセージ それに涙する人々は、何とか頑張って今日も明日も生きて行こうと 思い続けるのです。