女たちの忠臣蔵

 最近見たいと思うテレビ番組がないと嘆く夫は、結局いつも最後には時代劇か西部劇を選ぶのですが、この前たまたま宇津井健さんが大石内蔵助役の忠臣蔵の番組が放映されていて、一回限りの特別番組で1979年制作とあり、四十年前のものでした。出演している俳優さんの若いこと若いこと、感心して二人で見ていました。着物もそんなにいい生地を使っていないで、モダンな模様の小紋が多く、こんな感じのはうちにもあるし、なかなか着る機会がない気がしていたのですが、こうやって昔の人は着ていたんだと思うと、とても参考になりました。それにしても次から次へと出てくる女優さんたちが有名な大御所ばかりなのに、だんだん度肝を抜かれてきて、池内淳子、佐久間良子、山田五十鈴、杉村春子、大原麗子、波乃久理子、香川京子、山岡久乃、京塚昌子、等々もうびっくりの連続でした。長年舞台で活躍して来た、見事な役者さんたちの着物姿を見ていて、着物は着せてもらうものではない、自分が着るものだという当たり前のことを、私たちは忘れてしまっているということを思い知らされました。顔がハートで隠された着物姿は、どんなにきちんと着付けられていても、悲しいものだといつも思います。個人情報は流出してはいけないし、恥ずかしいから顔だししないで欲しいという気持ちもよくわかるのですが、着物を着ているひとの存在が隠されてしまう世界は、ある意味残酷です。

 この忠臣蔵に出てくる女優さんは素晴らしい方ばかりで、夫はため息をつきながら「綺麗だなあ」と言い続けていましたが、特に山田五十鈴さんの見事な色っぽさは圧巻で、大石内蔵助に振られたと言って涙を押さえる仕草のたくみさなど、長年の舞台経験と習練の結晶が顔から体から着物からあふれ出しています。彼女が縦じまの着物に横じまの帯を合わせているのを見て、両方うちにあるけれどこんな風に使うなんて思いもしなかった、もう目から鱗が落ちるとはこのことかと思うほどです。キップのいいセリフの山岡久乃さんのシャープな衿の抜き方、「衿はこうやって抜くものです」と教えられるものではなく、彼女の顔と声と役柄と人間性がこういう衿になるのでした。杉村春子さんが地味な色半襟をしていて、「年配者が色半襟をすると老けて見えるよね」と夫に言ったら「年寄り役だから色半襟付けて老けて見せるんだよ」と返してきて、何でも若く見せたがる昨今の風潮、私何歳に見えます?と意気揚々語りたがるのはいいことではないと今更ながら気が付きます。

 女郎役の波乃久理子さんが、遊郭の男衆たちに泥の中でなぶり殺しにされるシーンの、すさまじいまでの凄惨さは息を吞むしかないのですが、こういう現実が今リアルに起こっていることを感じながら、こういうドラマが40年前に作られ、それぞれの道で己を磨き続けてきた人たちが着ている着物姿というものを、今私たちはあらためて見習わなくてはならないと思っています。

 何か私たちは色々なことを間違えてきてしまった、道を踏み外して歩いて居るのを、やっと気が付いてきているのかもしれません。沖縄からのアメリカンファミリーが着た着物を干していたら、着物のことでいつもお世話になっている方が通りかかり、菊の模様の紺地の訪問着を、小学校の入学式に参列するお嬢さんに着せたいと持って行かれました。沢山の外国人に好まれたこの着物が、私の子供たちの出身校の小学校の入学式で若いお母さんに着てもらえるなんて、何と幸せなことか。身長が高いお嬢さんは菊の模様が良く映えてとても綺麗でしたが、着物が着てもらえる意味、この着物だけが知っている沢山の方々の温もりを、今だからこそ、大事にしなければならないと思っています。