おおあんごう

 図書館から予約していた本が用意できましたというメールが来ました。何を借りていたかしらと思ってクリックしたら、”おおあんごう”という題名が出てきて、何のことだろうと首をひねってしまいましたが、とにかく急いで借りてきて本を開いて読み始めたら、今までにない感覚の文章でグイグイ引き込まれ、あっという間に三分の一ほど読んでしまいました。ふっと我に返りこの作者はどんな人なんだろう、どこの学校を出て何をしているのかしらと裏表紙の著者紹介を見てみると「加賀翔」とあり、お笑い芸人さんでキングオブコントで決勝に進んだことがあるという経歴の方なのです。

 彼の文章はワンセンテンスが切れ目なく続いていて息が長く、フィクションな所もたくさんあるのでしょうが、とにかく正直にありのままに、両親への思いや風景が綴られていて、それがあたたかいのです。子供の頃、趣味と呼ばれるものはなかったのだけれど、唯一「ああでもないこうでもないと頭の中で物語を考えて、終わらない話を延々と続けている」ことが昔から続けている事だったという彼は、両親が離婚しそうだと落ち込む友達に自分の家の諍いのエピソードを話して、その時はつらかったけれどそんな経験をしていたおかげで今自分は友達を慰められている、誰かが辛い時、自分の経験で人の気持ちを少しでも軽くすることが出来るなら、それには意味があったと書いています。

 山の中腹にある自分の家の庭から見る花火大会の花火の描写。「橙色の大きな花火。大自然の中、目一杯広がって空に咲く花火は真っ暗な夜を照らし出す。湖のような海面に反射する輝きや、花火の光に照らされた夜の山々の姿はこの日この瞬間しか見られない貴重な景色だ。次々に上がる花火を見ているだけで日々の様々な感情が何もかも吹き飛んでいくように感じる。そしてその光を追いかけるように花火の音が山々に響く時のあの包み込まれるような感覚、花火にはおよそ人間の作るものとは思えない畏れと感動があった。」二十代の男の子の文章なのだろうかと思うのだけれど、この後に酒癖の悪い父が吞んだくれて母と諍いを起こし、母は傷ついて倒れ救急車で運ばれる有様も、彼は花火の閃光の中で混乱しながら見ているのです。吞んだくれている父を既視感を伴う親のようなまなざしで見ている一瞬は簡単に覆り、ただただ混乱の中で倒れた母親を見ながら、自分の体なのにまるで他人の身体のような感覚になり、意識がはみ出してあらゆることが他人事のように感じられるのです。

 「僕にはこの父親しかいない。それを笑ってくれたことが嬉しかった。父のことは嫌いだけれど、嫌いだとしても受け入れて笑うことができればいいんだと教えてもらった気がする。」「もしかするとこの気持ちこそが自分にとってのプラスな意味なのではないかと感じた。人と違う経験をしたということは語れる話も増えるということ。父がやることの全てが僕が人に話すためなのだと思えば、どんなことでも受け入れられるような気がして、僕は父を克服したような気分になった。」

 「父が警察に捕まった朝、空を見上げて、とても気分が良かった。長い戦いが終わったという気持ちだった」

 いろいろあったんだろうなあと思います。

 

 娘がこれから販売の時に着る「ひで也工房」の浴衣を取りに来て、いろいろ話をしました。随分落ち着いてきて、やりたいことがやれ、目指すことがあり、収入も安定してきたことが人間的な幅にもなってきたし、年を重ねてきたこともプラスになってきたようです。月に一回、いろいろな分野で活躍している方々と集うことがとても刺激的だとのこと、そこで自分が最近読んだ本の紹介もするので、私のおすすめの本があったら持って行くと言われ、これまでそんなこと言われたことがないのでちょっと驚きました。おおあんごうの加賀君ではないけれど、親との距離というのは時期によって変わりますが、これまで自分と親の距離はしっかり保っていた娘が、夫の昔話を優しく聴いたり、私が読んでいた本を借りて行ったり、自分がこれから進んで行くのに必要なものをどんどん取り入れたいという意欲をはじめて感じ、親だから敬遠するとか嫌がるとかいうことではなく、同じ平面上にあるものとしてみなしていこうとしているのでしょう。

 深夜テレビを付けたら、ウクライナ紛争に隠れミャンマー国軍の弾圧がより激しくなったと報道されていて、いたるところで争いが起きているし、日本にしてもこれからどういう状態になっていくのか皆目見当がつきません。そんな時、自分の中に確固たる信念と核があり、挫折や困難も負の感情もすべて受け入れてプラスに変えて進んで行こうという力を持ち、自分をよすがにしていけるということは強いと思う、若い頃自分が好きでないと何もできないよと言われたことがあり、言葉を返せなかったのですが、今この年になって自分のしたこともこれからも認めることが出来ます。だからこれからも、前に進める。義母が施設に入り、そこで楽しく幸せに暮らしているということが分かった今、義母のこのうちにいるということの長い戦いも終わったのでしょう。

 おおあんごうの作者の加賀君がこれからどんな人生を送るかわからないし、娘もこれからどうなるか見当がつかないというけれど、人に対して、そして家族に対して誠実であるという資質は一番大事なような気がします。