点と線

 義母の甥っ子さんが夫を泊りがけのゴルフに誘ってくれて、私も久しぶりに付き添いで千葉の別荘に泊まりに行きました。家をあけるなんて何年振りかと思いながらいそいそ荷造りしてから、会社の女性たちもいると聞いたのでこの前作った銘仙の羽織を二枚追加して入れました。別荘とゴルフ場が一体となった洋風建築の家が立ち並ぶエリアはとても綺麗で、ゴルフ場に続く道にはメタセコイア並木が続きどこの国かと思う景観です。

 朝早くゴルフ隊は出かけ、私は案内してくれる中国の女性が来るまで、庭を掃いたり銘仙の羽織をいろいろな所に掛けて写真を撮ったりしながら、こういう場所で着物を着るのはそぐわないし、簡単に羽織れてそして現代的な感覚の銘仙はとても使いやすいと感じていました。中国人のジョウさんは自撮りが好きなようで、私がデパートで並んで買って来たオードリーのイチゴのお菓子を食べる時もすっと窓辺に行ってお菓子を持つ自分を撮っている姿を見て、自撮りしているモデルさんをカメラマンが撮っている写真を送ってくれた娘の影響を受けているので、ぜひこんな感じで羽織を羽織って写真を撮りたいとお願いしました。

 自撮りをするときは自分の顔を見ながら一番いい表情を作るから、「こっちを向いて、はいチーズ!」と撮るより良いということを最近学習したので、ジョウさん手作りのペペロンチーノのランチを食べてから、家の中でまず写真を撮り、それから町にお散歩に出かけて最後に立ち寄った丘の上の神社で鳥居のそばや石段やいろいろな所で羽織を羽織り、スカーフを頭に巻いて、物憂げな表情の中に、突然笑みを浮かべたり、多彩な表情の彼女の写真を撮りました。スマホだし私の腕も良くないのですが、被写体が良いし日本人とは違った感覚で反応してくれてとても面白かったのです。雨が降ってきたので急いで帰ったのですが、エアビーのゲストで日本語が堪能な女性バージョンのようで、仕事のこと、家族の事、なぜ日本に来たのか、これから中国に帰るのか、どんな本が好きかなどなどいろいろ話が出来、感心したのは使う日本語も「帰属する」といったり、いろいろ勉強してきた偉いお嬢さんでした。

 暗くならないうちに東京に帰ろうと、夫と帰り支度している時に、甥っ子さんに羽織を着たジョウさんの写メを見せたら「銘仙じゃない!」とびっくりしてきて、何と桐生出身の彼のお父様の親戚に繊維業界の重鎮がいて、とても有名な方なのだそうです。銘仙について後でラインをして下さり、当初はひらがなの銘仙であったが、1897年明治30年、東京三越での販売にあたって「各産地で銘々責任を持って撰定した品」ということで「銘撰」の字を当て、その後「銘々凡俗を超越したもの」との意味で「仙」の字があてられて、銘仙になったそうです。義母のタンスに50年間眠っていた銘仙の生地にはいろいろないわれや想いがあったようで、私は知らずに羽織に仕立て、皆さんに着てもらおうと思ってここに持ってきたら、銘仙に関わってきた方の親族に行きついたことがとても不思議です。仕立ててもらおうと呉服屋さんに持って行ったら、反物の芯は戦争前の新聞だったし、何円と値札もついていたと言われ、今どきは羽織の仕立て代も高いから、着物の好きでない義母は50年間しまいっぱなしだったのだなあと思います。

 不特定多数の人に着てもらうために私は羽織を仕立てたのですが、日本に限らず文化とか美しいものを作り出そうとする感覚に対して無表情であってはならない、そういう積み重ねが戦争や諍いを食い止める心を作っていくと思っています。何でもすぐうまくいくことはないし、努力しても実らないこともあるけれど、出来ることを少しずつやっていくと急につながって線になり、面になり、立体になる時が来る気がしています。

 目の具合がずっと悪くて連休前に眼科にいったら、両方白内障で9月に手術することになりました。「良く見えるようになりますよ」と先生は言うけれど、自分の顔見てしわが多いのにびっくりしたという話を聞いたことがあります。あと4か月あるから、無駄な気もするけれど、一生懸命お顔もマッサージしていきましょう。これも転換期なのです。